文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

国内の電力需要の6割を水力発電で賄う、環境大国オーストリア。ドナウ川からアルプスの渓流まで、様々な「流れ」を利用して、自然に優しいエネルギーを生み出している国ですが、その背景には、「カプラン水車」という水力発電用電力タービンの存在があります。

カプラン水車とは、取り付けられた羽根の角度を変えることができるタイプのタービンで、羽根が固定された従来のフランシス水車とは異なり、低落差、大水量の川でも発電が可能な点で優れています。オーストリアでは、ドナウ川の10か所を含む、80以上の水力発電所でこのカプラン水車が使用されています。

このカプラン水車を発明した機械工学博士ヴィクトル・カプランは、自然を愛し、自然と科学の融合を目指した人物でした。工業開発に明け暮れた研究生活と、自然に囲まれた余生。この二つの側面を持つカプランの人生を、アルプスのハイキングコース「カプランの道」を歩きながらご紹介します。

カプランが余生を過ごしたアルプスの湖水地方

ヴィクトル・カプランの研究人生

ヴィクトル・カプランは、1876年、鉄道員の息子として、世界遺産センメリンク鉄道の主要駅のある、ミュルツツーシュラークで生まれました。カプランは、小学生のころから、カメラや蒸気機関を組み立てたり、近くの川で水車を自作したりと、機械いじりの才能を開花させます。

20世紀の始めは、技術革新の時代でした。多くの発明が同時進行で行われ、産業技術によって、人類の創造力は絶大なものになると信じられていました。このような時代背景の下、若きカプランは、エネルギーを作り出すことに情熱を注ぐようになります。

学生時代を現在のウィーン工科大学で過ごした後、チェコのブルノ(当時はオーストリア帝国の一部)の工業大学で博士号を取得し、1909年には教授に就任。その後も教鞭をとりつつ、研究を続けます。

ウィーン工科大学

カプランはブルノ時代に数えきれないほどの水車模型を作成し、1912年、プロペラ状の羽根の角度を調節できるタイプの水力発電用水車の開発に成功します。特許も4つ取得しますが、旧来の水車を製造するスイスやドイツは、ライバル製品の登場を喜ばず、カプラン水車の市場参入を妨害したため、普及には至りませんでした。

カプラン水車の模型

第一次世界大戦が終わってようやく、カプラン水車はウィーン南のフェルム(Velm)の縫製工場で初めて使用されます。1923年以降、スウェーデン、ドイツ、ロシア、アイルランドなどでも採用され、カプラン水車の有用性が世界に認められました。

「カプランの道」を歩く

都会で機械と産業開発に人生を捧げていたカプランですが、実は素朴でユーモアにあふれ、自然を愛する人でした。水車の事となると我を忘れて集中してしまうこともあり、演壇に上がる直前まで研究に熱中してしまって、講演用の燕尾服がびしょ濡れのままで会場に向かったというエピソードも残されています。

そんなカプランは、1920年代に重い病気を患って研究を引退し、アルプスの山奥に居を構えます。湖水地方ザルツカンマーグートのアッター湖とモント湖の間に山奥に、カプランの終の棲家はありました。この地はローフスポイント(Rochuspoint=ペスト患者の守護聖人の地)と呼ばれ、中世の頃、ペスト患者の隔離所があったとされています。それほど人里離れた山奥で、カプランはどのような生活を送っていたのでしょう?

ハイキングコース「カプランの道」と案内板

現在このカプランの足跡をたどるルートは、二つの湖を結ぶハイキングコースとして整備され、途中の案内板を見ながら、カプランの人生や、水力発電に与えた影響を学ぶことができます。この「カプランの道」を実際に歩いてみました。

アッター湖側から案内板を頼りに山道をしばらく登ると、いくつかの田舎家や小屋が建つ、整備された芝生の区画に出ます。これが、カプランの理想郷、ローフスポイントです。

カプランの終の棲家とその敷地。左奥が住居の建物で、右奥に池がある

ここには、山小屋、工房、人工池、養蜂場の他に、ホームシアターや研究用の小型水力発電所までありました。この地でカプランは、研究を続けながら家族とのんびりと時間を過ごし、多くの友人やビジネスパートナーを招待し、自慢の愛車で湖畔をドライブする生活を楽しみました。自然を愛したカプランにとっては、この地で過ごした日々こそが、理想の暮らしだったのでしょう。

1934年、58歳の時に心臓発作で亡くなったカプランのお墓は、墓地ではなく、絶景を見下ろす山奥に作られました。妻と共に眠る祠は、理想郷からほど近く、アルプスの山々が見渡せ、彼の愛した自然に囲まれています。

カプランのお墓
カプランのお墓から見渡せる絶景

「カプランの道」は、大人の足で約2時間半。アッター湖畔の町ウンターアッハからローフスポイントまでハイキングコースを登り、そこから反対側に山を下ると、お隣のモント湖に出ます。ここから、二つの湖をつなぐ川沿いをしばらく行くと、出発点の町に戻ってきます。

ウンターアッハの町。カプランの家は、写真左上の森の中にある

ウンターアッハには、カプラン水車型の記念碑や、巨大な記念モニュメントもあり、このハイキングの締めくくりに、カプランの人生や研究、水力発電について学び、彼の発明が世界に及ぼした影響をうかがい知ることができます。

ウンターアッハにあるカプランのモニュメント

カプラン水車と再生可能エネルギー

現在カプラン水車は、ドナウ川、ナイル川、ヴォルガ川、ヴルタヴァ川など、世界中の低落差、大容量の水力発電所で用いられているほか、日本でも多くの川やダムで使用されてます。

オーストリア国内でも、多くの水力発電所でカプラン水車が活躍していますが、その中でも、ドナウ川の大規模水力発電所フロイデナウでは、6基の巨大なカプラン水車が採用され、ウィーンの電力の三分の一を賄っています。

ドナウ川のフロイデナウ水力発電所
フロイデナウ水力発電所のタービン室。この青い筒の中に水が流れ、カプラン水車が設置されている

カプランの業績はオーストリアでも称えられ、1950~60年代の1000シリング紙幣に肖像画が使用されました。

* * *

水と川の国オーストリアで、水力発電の基礎を築いた工学博士カプラン。機械工学と自然という、一見相反する二つのものを愛したカプランは、100年後の再生可能エネルギーの実現に大きな貢献をしたと言えるでしょう。環境大国オーストリアの現在は、カプランの理想とした自然と科学の融合に、少し近づけているのかもしれません。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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