文・写真/羽生のり子(海外書き人クラブ/フランス在住ライター)

フランス映画「禁じられた遊び」(1952年)を覚えているだろうか。戦争孤児となった5歳の少女ポーレットと村の10歳の少年ミッシェルが起こした出来事を描いた、映画史上に残る不朽の名作だ。ポーレットが孤児になったのは、田舎に疎開する途中に両親が独軍戦闘機の連続射撃で殺されたからだった。

ここで紹介する第2次大戦中の出来事は、ポーレットの家族のような無名の市民の物語である。レジスタンス活動家や著名人の話ではないため資料が少なく、一般にはほとんど知られていない。それを知らせるべくパリ解放博物館「Musée de la Libération de Paris(https://www.museeliberation-leclerc-moulin.paris.fr)」が、2020年2月27日から、「1940年 疎開するパリ市民展(Les Parisiens dans l’Exode de 1940)」を開いた。コロナ対策で昨年10月末から閉館したまま会期が終わってしまったのが残念だ。

1939年9月3日、英国とフランスはドイツに宣戦を布告したが、西部戦線でほとんど陸上戦がなかったため、フランス人には戦時中であるという実感がなかった。戦争の勃発前の8月末、仏政府は、パリからサマーキャンプに出ている学童をそこにとどめるよう要請した。しかし必然性を感じなかった親たちは新学期に間に合うよう子供をパリに連れ戻した。1940年5月10日以降、ドイツ軍がベネルクス三国を攻撃した。避難してきた三国と北仏の住民がパリに溢れかえったのを見て、パリ市民は初めて危機感を抱いたのだった。南下した独軍は6月3日、パリを爆撃した。この日以降、多くのパリ市民が車、自転車、徒歩などで疎開し始めた。独軍がパリに近づいた10日、フランスは中部のトゥーレーヌ地方に政府機関を移し、パリを攻撃から守るため無防備都市宣言をした。事実上の首都明け渡しである。疎開するパリ市民は倍増した。10日から14日までに市民の3分の2にあたる200万人がパリを捨てた。

パリから疎開する人たち。1940年6月

パリは空っぽになった。オペラ座通りから人影は消え、店はシャッターを下ろした。

人々は南を目指したが、どこに行けば良いのか。寝る場所と食料も確保しなければならない。逃げたものの、いつ独軍機が飛んでくるかわからない。ポーレットの両親のように、頭上を通過する軍機に連続射撃されて多くの人が亡くなった。人混みの中で家族と離れ離れになり、行方不明になった子供が後を絶たなかった。赤十字によれば、移動中に迷子になった子供は9万人いたという。女性誌は、そうした子供の写真を載せ、市民に協力を求めた。おかげで少なからぬ子供たちが家族と再会することができた。

1940年9月、エル 「Elle」誌に出た尋ね人広告

たとえ知らない土地で仮住を見つけることができたとしても、その地に安住することはできなかった。6月14日、独軍がパリに入城。17日、フィリップ・ペタン元帥が首相になり、22日、独仏休戦協定が成立した。ペタンは政府をボルドーから仏中央部の町ヴィシーに移し、7月1日、政府主席兼首相に就任した。そして8月1日、避難民に自宅に戻るよう指示を出した。ペタンは第一次世界大戦中、ヴェルダンの戦いでフランスを勝利に導いた英雄だった。それでペタンを信用してパリに戻った人が多かった。

展覧会場では、当時14歳だった女性の証言をビデオで流していた。家族と大西洋沿岸に疎開していたが、帰宅を促す演説をラジオで聞いた。第一次大戦に参戦した父親はペタンに好印象を持っていたので、その言葉に従い、8月末に帰京する人でごった返す列車に乗ってパリに戻った。パリ・モンパルナス駅からタクシーに乗ると、運転手が「占領下のパリを見たいか」と聞く。それでパリを回ってもらった。コンコルド広場の有名なホテル・クリヨンにも、そこに至るリヴォリ通りにもナチス・ドイツの旗がはためいていた。ナチス一色になったパリは、パリではなくなっていた。占領下のパリがどんなものかを目の当たりにした女性は、「ドイツの占領で街のあちこちに重い空気が漂っていた」と回想している。

ナチスの旗がはためくリヴォリ通り。通りの右奥にルーヴル美術館が見える

こうして9月にはほとんどの疎開者が占領下の自宅に戻ったが、大変な思いをして疎開し、2〜3か月で戻ったことの無意味さが多くの市民にトラウマとして残った。

それから80年後、新型コロナウィルスでフランス中がロックダウンする直前の3月半ば、パリとその近郊に住む市民170万人が首都圏から脱出した。ロックダウンを告げるマクロン大統領は「我々は戦時下にある」と発言した。展覧会を見ながら「今年起きたことと同じだ」と感じたのは筆者だけではないだろう。遠い中国で発生したパンデミックの流行を、最初は他人事のように見ていたフランス人。隣国に飛び火して慌て出したのも戦時中の状況に似ている。会場の避難民の写真は、コロナ禍を避けるため、荷物を抱えて徒歩で田舎に移動するインドの人々の姿と重なった。はからずも戦争とパンデミックの関係を考えさせられる展覧会となった。

「1940年 疎開するパリ市民展 」 2020年2月27日―12月13日

パリ解放博物館
https://www.museeliberation-leclerc-moulin.paris.fr

アドレス
4 AVENUE DU cOLONEL HENRI ROL-TANGUY
75014 PARIS
(PLACE DENFERT-ROCHEREAU) 
TÉLÉPHONE : 01 40 64 39 44

文:写真/羽生のり子 1991年から在仏。食・農・環境・文化のジャーナリスト。文化遺産ジャーナリスト協会、自然とエコロジーのためのジャーナリスト・作家協会、環境ジャーナリスト協会会員(いずれもフランス)。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com

 

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