文・写真 /レリソン田島靖子(海外書き人クラブ /フランス在住ライター)
フランス南部、ニースやカンヌから北へ100キロほど進んだところに、ラ・ミュール・アルジャンという村がある。日本人の旅先候補にはおそらく挙がらないであろう、山あいの小さな村だ。静まり返った山に囲まれ、夜にはフクロウの歌声が響く。
誰が予想できるだろうか。こんなところに、日本の土偶と埴輪(はにわ)にハマりすぎてしまった、一人の愛すべきフランス人がいることを。
まずは彼の部屋の中の写真を見ていただきたい。
日本人ならなんとなく見覚えがあるであろう、これらの土偶や埴輪。でも教科書や博物館で見たものとは、何か違うような……。所有者はこの村に住む大学教授ブリュノー・シボナ氏。だがこの写真にうつっている土偶はすべて、日本で買ってきたレプリカなどではない。なんとブリュノー氏が一から手作りしているのだ。縄文土偶の魅力に取り憑かれるあまり、自分で手作りしてしまうという、おそるべきステージに足を踏み入れたフランス人。それが彼だ。
フランス生まれだが在英歴が長く、現在は南仏の大学で英語を教えているブリュノー氏。つまり土偶制作は仕事ではなく、趣味である。いったい縄文土偶の何が、ここまで彼を夢中にさせたのか。
◾パリをざわつかせた「縄文」の謎
日本では近年、「縄文女子」という言葉が生まれるなど、縄文時代が新しい文脈の中で注目されるようになった。縄文女子とは、縄文時代の土偶のかわいらしさにハマる若い女性のこと。口をぽかんとあけた「みみずく土偶」(https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0062200)や宇宙人を連想させる「遮光器土偶」(https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=J38392)(いずれも東京国立博物館蔵)など、理屈抜きで感性に訴えかける造形に「かわいい……」と女子たちが夢中になったのだ。
実はパリでも昨年、20年ぶりとなる「縄文」展が開催された(「縄文—日本における美の誕生」/日本文化会館)。同時期にパリで開催された「若冲」展(プティ・パレ美術館)ほどの興行的成功はなかったものの、一部の日本好きの間では大いに話題となった。何のために作られたのか等、解明されていない謎が多い点も、議論好きのフランス人を沸かせた。多くが女性の胸や尻を強調したフォルムであることから、安産祈願に使われたとする説。体の一部が故意に壊された形跡があることから、呪術や儀式に使われたとする説。諸説あるが、パリの会場ではその他にも「子どもに言うことを聞かせるために使われた」説、「胸をさわって楽しむ、大人のおもちゃ」説など、ひとつひとつの土偶を前に議論が盛り上がっていた。
■40年前の「ひとめぼれ」
だが、そもそもブリュノー氏が土偶や埴輪にハマり始めたのは、日本に縄文ブームが訪れるよりもずっと前のこと。1978年、当時20歳前後であったブリュノー氏は、日本旅行を計画し、1冊の本を買ったという。日本の歴史を紹介するその本のなかで、ブリュノー氏は運命の出会いを果たす。
「一番最初に惚れ込んだのは、この埴輪だった。かみなりに打たれたみたいだったよ。もともと原始的なものが好きだけど、この埴輪は造形的にあまりにも強く、生きているみたいだった。死者のためにダンスをおどっているようなこの形。僕にははっきりと、歌さえ聞こえたんだ」
ちなみに土偶とは縄文時代に使用された人物や動物の土製品。埴輪とは4世紀以降に登場した素焼きの土製品で、古墳に並べるためにつくられたもの。埴輪については、死者のために作られたものであることが、大いにブリュノー氏の興味をひいたという。
その翌年、実際に日本へ行き、縄文・弥生時代に関する本を買い漁った。縄文ブームなどかけらもない時代、手に入ったのは数冊の本とポストカードだけだった。
実際に自分で作り始めたのは2004年頃。当時イギリスの大学でフランス文学を教えていたブリュノー氏は、仕事に行き詰まりを感じ始めていた時期だったという。気晴らしにオックスフォードの人類学博物館に通いつめては、古代に思いを馳せ、ものづくりへの情熱を高めていった。もともと概念的な世界にいるよりも、自分自身の手を使ってモノを作ることが好きだった。買うよりも作ったほうが、ずっとおもしろいじゃないか–––そうしてついに、当時住んでいたロンドンの家の庭で、趣味として埴輪の制作が始まった。翌年、もっと本格的に陶器の勉強をしたいと、ウェールズで講座を受け始める。さらに翌年から4年間かけて、自然のなかで拾ってきた材料を使って、穴窯を自分でつくってしまったという。すべて仕事とは関係なく、完全なる趣味としておこなっていたことである。
「作ったものは皆、家族。それぞれの子が自分の人生を生きている」と語るブリュノー氏。ひとつひとつの埴輪や土偶にキャラクターがあり、それぞれの物語を持つ。「小さい土偶なら2晩くらいで作れる。1晩目に原型をつくり、2晩目に模様をつける。19時頃からはじめて夜中の1時くらいまで、好きな音楽を流して、ビールを飲みながら大好きなものを作る時間は至福だよ」
最初は完全なるコピーだった土偶制作だが、最近では縄文土偶だけでなく、複数の文化をミックスした陶器をつくることも楽しんでいる。たとえば、食卓のある居間でひときわ異彩を放つこの三体。
これらはシーラ・ナ・ギグ(女性の外陰部が誇張して表現される、ケルトの古代彫刻)から発想を得た。もちろん彼女たちにも、物語がある。真ん中にいるのがきつねのプリンセス、両側にいるのは忠誠心の深い用心棒。プリンセスが手に持っているのは元恋人の骸骨だが、殺したのは用心棒たちだそうだ。逆らってはいけない、おそろしきプリンセスである。
◾ 好きなものに囲まれる暮らし
20年に渡る英国在住、その後離婚を経て、現在は故郷南仏で悠々自適の一人暮らしをするブリュノー氏。モノ作り全般が好きで、友人が集まったときのパーティー料理も、趣味の弓道に使う弓矢も、すべて自分ひとりで作る。外を歩くときは、面白い形の木の枝から、蛇の死体まで、なんでも拾って持ち帰る。動物の骨、アフリカのお面、昆虫の標本……、博物館のようにモノがひしめく家の中で、いたるところから土偶や埴輪が顔を出す。
日本好きは加速しており、リビングには日本の神社で買った絵馬が並べて吊るされていたり、ブリュノー氏の足元はなぜか時に地下足袋だったりする。数年前、日本のガチャポンでとった埴輪フィギュアは宝物だそうだ。
「これがほしかったのにぜんぜん出なくて、躍起になって何度もやった。機械の前にうずくまって、両替を繰り返してね(笑)」。
テラスからは雄大な山が見えるが、その中を電車が通る瞬間が大のお気に入りだそうだ。珍しい昆虫を見つけては、這いつくばって観察しようとする姿は、まさに少年である。趣味は男性を少年にかえらせると言うが、とことん好きなものを追いかけ、生きることを貪欲に楽しむ姿は、私が想像するサライ読者にも重なるものがあった。
ラ・ミュール・アルジャン観光局 https://la-mure-argens.com
東京国立博物館 https://www.tnm.jp/
ブリュノー・シボナ氏著作 https://www.amazon.fr/s?k=bruno+sibona&ref=nb_sb_noss
文・写真/レリソン田島靖子(フランス在住ライター)
慶應義塾大学美学美術史学専攻卒。幼稚園教諭として働きながら、教育・アート系の記事の執筆をおこなう。月刊『美術の窓』(生活の友社)にて「ハリネズミのときどきパリ通信」連載中。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)会員。