文・写真/小堀晋一(海外書き人クラブ/タイ在住ライター)
コメやサトウキビ、天然ゴムなどで豊かな農産物で知られるタイの農業。もう一つ、あまり知られていないものに天日製塩による天然の塩がある。塩が作られるのは、極端に雨が少なくなる例年11月ごろから。今がちょうどその始期にあたる。乾季の終わる4月末ごろまでが最盛期となるが、雨季入りが遅れるとまれに7月末ごろまで生産地の沿岸は純白の天然塩で覆われる。今なお当地に伝わる伝統産業だ。
バンコクから西南西に約60キロ。サムットサーコーン県とサムットソンクラーム県の10数キロほどの沿岸部に塩田は広がる。ここはタイ湾の最奥部。地形的にも気候的にも穏やかで、乾季の雨は月十数ミリと極端に少なくなる。日本の瀬戸内海沿岸と同様に天日製塩に適した地域とされる。
訪ねたのは、2019年7月下旬。気象台が乾季の終わりを告げたのにも関わらず晴天が続き、時期を延ばして天日塩作りが行われていた。製塩農家のピムさんは親戚も交えて、製塩作業に大忙し。たまに日本人観光客も足を伸ばすのか、筆者を見つけると「コンニチハ」の挨拶。「今年は雨が少ないから、この時期まで塩作りができてホクホクだよ」と笑顔で語っていた。
タイ農業協同組合省の古い資料によれば、70年ほど前にこの地域にあった塩田は約4200ヘクタール。東京ディズニーランドの90個分以上にも相当した。その時に取れた塩は年間約18万トン。これは当時の国内生産の6割にも達した。国内消費量をも大きく上回り、ミネラルをたっぷり含んだ塩は上質な塩として海外にも輸出され、タイの貴重な収入となっていたという。
宅地化や開発などで当時の半分にも満たないという現在の塩田はこぢんまりとしており、1区画平均して80メートル四方ほど。ここに海側から順に、海水溜、蒸発池、調節池、結晶池といった区域が並ぶ。塩分を含んだ水が順次、次の区域へと送られ、濃度を増していく仕組みだ。塩水の運搬には、かつては自然の風を動力とした「龍骨車」が使われていたが、現在は電動ポンプによって揚水が行われている。
海水溜で不純物を沈殿させた後、蒸発池では約2週間をかけて塩分濃度を高めていく。その後、水質を一定にさせるための調節池を経て、最終段階の結晶池で採塩作業に入る。濃度を増した海水は少しずつ結晶を作り始め、やがてザラメのような粒となって顔をのぞかせる。
白く結晶化した塩をピムさんら作業者がトンボのような農具を使って撹拌していく。聞くと、苦汁(母液)を排出させるためだとか。こうした作業が幾度にも繰り返され、さらに濃度を増した塩は円錐状に積み重ねられて、水切りがされていく。
こうして約1日放置された後に、塩は丘の上にある塩堆場に移され、さらに天日で2~3日乾燥される。水分がすっかりなくなれば、いよいよ完成品だ。結晶池だけでも作業は1カ月程度。一日も休むことなく続けられる作業は、気の遠くなるような重労働だ。
天日製法で採取された天然塩はミネラルが豊富で、ほのかに甘く感じ、各種料理の調理にも最適とされる。美容や健康にも良いとされ、製塩農家では組合ごとに化粧品やシャンプー、クリームなどの商品を開発して土産物として販売もしている。美容・健康ブームが続く近ごろは、インターネットを通じた通信販売が盛んになっている。
現地への観光は、バンコクにあるニッチな旅行代理店がツアーを組むなどして提供している。ただ、バンコクからも比較的近く、レンタカーあるいはタクシーをチャーターして訪ねてみるのも良いかもしれない。澄み渡った乾季の青空に、降雪を想わせる真っ白な天日製塩。日本では見られなくなった光景だけに、足を運んでみる価値は十分にある。
文・写真/小堀晋一
タイ・バンコク在住ライター。2011年11月、タイ・バンコクに意を決して単身渡った元新聞記者。東京新聞(中日新聞東京本社)、テレビ朝日で社会部に所属。現在はフリーランスとして、日本の新聞、雑誌、タイのフリーペーパーなどで執筆。講演多数。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。