商売繁盛、無病息災……ご利益叶う縁起物
寄席や歌舞伎の看板で目にする太い筆で書かれたダイナミックな書体。これは江戸文字と呼ばれ、江戸時代に生まれたものだ。そして、今もその伝統技術を受け継ぐ職人のひとりが、橘右之吉さんである。昭和25年に浅草で生まれた右之吉さんは、幼い頃から落語や芝居などに親しみ、16歳のときに橘流寄席文字家元の故・橘右近師匠に入門。19歳で右之吉の名を許されて以来、半世紀以上にわたり江戸文字を書き続けてきた。
「歌舞伎に使う芝居文字(勘亭流)、相撲なら相撲字(根岸流)、寄席なら寄席文字(橘流)、半纏などに使う籠字というように、場面に応じて技法が異なる。これらをひっくるめて江戸文字といいます」
江戸文字が誕生した背景には、徳川幕府が制定した公用文字「御家流」がある。崩し字の読み間違いを防ぐため統一の書流として採用され、寺子屋でも教えたことから江戸の庶民にも広く普及した。
「そうすると、みんな一緒じゃつまらねぇ、装飾しちゃえってことで生まれたのが江戸文字なんです」
江戸時代中期の御家流書家・岡崎屋勘六が、歌舞伎の看板にわざと太い崩し文字を誇張して書いたところ、非常に目立つと評判になった。これをきっかけに歌舞伎とともに芝居文字が全国に広まっていったという。
「芝居文字の特徴は、ひと目で判読できないこと。芝居通にならないとわからないように書かれた文字なんです」
その反対に、わかりやすさを第一に派生したのが籠字だ。これは、火消しの纏や半纏などに使われた。火事が起きたとき、遠くからでも所属する組が判別できるよう視認性を高めた文字である。
江戸文化を現代に蘇らせる
籠字ほどではないが、芝居文字よりも読みやすいのが寄席文字だ。落語の看板やめくりなどに使われ、隙間なくお客が一杯に入るようにと余白を少なくするのが特徴。さらに、今日より明日はお客さんが増えるようにという願いを込めて、右上がりに書き上げる。
「見た目が格好いいからだけで、江戸文字の姿になったわけじゃない。それぞれにちゃんと意味や洒落があるんですね。だから、200年以上経った今も廃れずに残っているのだと思います」
右之吉さんが属する橘流は寄席文字の一門であるが、右之吉さんは歌舞伎、花柳界、社寺、企業、ハイブランドなど活躍の場が広い。海外からの需要も多く、カタカナを江戸文字にするどころか、例えばスイスのマルチツールメーカー「ビクトリノックス」は“美句鳥納久寿”と縁起のいい漢字に置き換えた。また歌舞伎の「平成中村座」の海外公演での出店では、来場の外国人観客の名を同じく漢字に置き換え、話題となった。
自らの工房『UNOS』では、千社札シール(そもそもは木版和紙の千社札を和糊で貼っていた)や、柘植の銘木に本漆で江戸文字を書いた「消し札」などを考案し、注文を受けて製作している。右之吉さんが意匠し丹精込めて書かれた品はどれも好評だ。
プリントアウトされた活字文字が溢れる現代においては、右之吉さんの手書きの江戸文字は心に響いてくるからだろう。
「私が新しいことをやるから、弟子も新しい可能性を考えるようになる。寄席だけ、歌舞伎だけだと、世界が狭くなっちゃいますから」
江戸文化を継承しつつ、つねに新しいことに挑戦し続ける右之吉さん。その後ろ姿を見ている後進も粋な職人になるに違いない。
取材・文/大関直樹 撮影/藤田修平
※この記事は『サライ』本誌2024年9月号より転載しました。