紫式部の生涯を描く本年の大河ドラマ『光る君へ』。題字は、品格があり、ドラマの内容に寄り添い、現代の視聴者に訴える力があるドラマの「顔」だが、今作の「顔」を担当したのが、新進気鋭の書家・根本知さん(39歳)だ。
仮名から書道の道へ
「NHKからは紫式部が特別な想いを寄せる藤原道長に恋文を書き、宛名に〈光る君へ〉と書いたなら……という依頼をいただきました。漢字と仮名を交互に配し、紫式部と道長の想いが入り混じり、感化し合うような文字にしました」
流れるような文字は雅でいて切なさを感じさせ、物語の余韻そのもののような美しさだ。流麗な和様(※中国風の書である唐様に対して、日本風の書。)の文字の書き手として知られる根本さんだが、書を始めた当初は漢字に対して苦手意識があったという。
「中学2年生の頃、家庭教師に見せてもらった『古今和歌集』の複製の巻物がきっかけで仮名文字の世界にのめり込んでいきました」
仮名に魅せられ書の道に入った根本さんだが、漢字に対しては距離を感じていたという。転機となったのは、大人になってからの漢字の故郷である中国への旅だ。
漢字の原点に思いを巡らせる
中国全土の石碑を集めた西安の『西安碑林博物館』で、王羲之(おうぎし)と並び称される中国の書道家・顔真卿(がんしんけい)による「顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)」を見て衝撃を受けたという。
「顔真卿の碑はV字の溝のように彫られた薬研彫(やげんぼり)。光を当てると、V字の半分は陽、半分は陰になり、字が立体的に、生き生きと浮き出してくるのです。この手法の原点をさかのぼると、やはり甲骨文字に行きつくと思います」
このとき、根本さんは漢字が本来持つ力を肌身に感じた。根本さんが漢字について考察する際、参考にするのが漢文学者・白川静の『字統(じとう)』と『字訓(じくん)』(※『字統』は白川の説に基づく字源字典。『字訓』は日本語と漢字の出会いを探る古語辞典。)だ。
「『字統』はすべての古代文字の原点を辿り、『字訓』は中国人が思う漢字に対する畏怖の心と、訓で表される日本人の心を浮き彫りにしています」
漢字の原点に思いを巡らせるうちに、根本さんは人が文字を書こうとした最初の動機について考えるようになった。
「漢字は、山、土地、人、神の名前などを忘れたくないから書き留めるために生み出されたと思います。また、書き留めることにより神を寿(ことほ)いだ。ですから、文字を書くことは、そこに霊性を入れ込むことなのでしょう」
書くことで命を注ぐ。それがひとつの文字に集結しているのが漢字なのではないか、と根本さんは考察する。
命を吹き込んで漢字を書く
「漢字の魅力はそこにあると思うのです。だから日本人は漢字を〈真名(まな)〉と呼んだのだと思います。公の文書や天皇の詔などは漢字で書かれてきました。中国に対する敬意もあった。それが文化に溶け込み、吸収できるようになったからこそ仮名文字が生まれたんですね。自分たちの言葉である大和言葉を表現するため王羲之の草書をもとに仮の文字、仮の名を作ったわけです。公でありハレ、陽の文字として使われた漢字に対し、恋文やメモなど私的な、陰の文字として仮名が用いられたのです」
日本人の忌避の心が漢字から仮名を生んだと、根本さんは語る。
「言葉の意味を考え、命を吹き込んで漢字を書きたいものです。筆先の通り道は、V字の薬研彫のように真ん中でありたい。原点を忘れず墨書した漢字は良い字だなと実感します」
根本さんの文字には和様の命が宿っている。
取材・文/平松温子 撮影/湯浅立志
※この記事は『サライ』本誌2024年9月号より転載しました。