文/晏生莉衣
ラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピックと、世界中から多くの外国人が日本を訪れる機会が続きます。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。
* * *
同性婚が合法の国が多いヨーロッパでは、司法へのアクセスが性的少数者の救済につながっていることを、前回のレッスンで判例とともに紹介しました。ヨーロッパでは、もう一つ、EU(欧州連合)という強力なリーダーシップが、性的少数者の人権を促進しています。その本題に入る前に、まず、LGBTQという言葉について、整理しておきましょう。
EUは「LGBTI」
日本ではここ数年、性的少数者の総称として使われる「LGBT」(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの英語の頭文字)という言葉が社会に広まっていますが、この略語にはいくつかのヴァージョンがあります。この連載では、英語圏で広く使われているLGBTQを用いています。Qは少数派を意味するクィア(Queer)や、自分の中で性自認がまだ不確定で自問中のクエッショニング(Questioning)にあたり、LGBTというカテゴリーにあてはまらない人たちを含めるためにも使われています。
今回取り上げるEUは、以前はLGBTとしていましたが、現在はLGBTIという書き方をしています。Iはインターセックス(Intersex)にあたり、日本語では性分化疾患と言われています。性分化疾患は、遺伝子の先天的な特質性によって起こり、医学的に男性か女性か判別がむずかしい状態となる疾患の総称とされています。国連でも性的少数者への差別禁止が議論されていますが、同じくLGBTIの表記が使われています。
LGBTIのあとに、A(Asexual)を加えてLGBTIAとすることもあります。英語では、エィセクシュアルというように発音しますが、日本語のカタカナ表記ではアセクシュアルと書かれることが多いようです。無性愛者というような訳をみかけます。他者に対する性的な関心や欲求のない人のことで、なにかの出来事や信条で関心や欲求を持たなくなるのではなく、生まれつきの特質として、そうした関心や欲求を持っていない人のことを指します。
それだけのカテゴリー分けで終わらないという意味で、「+」をつけてLGBT+、LGBTQ+、LGBTIA+というように表現されることもあります。別のアルファベットを加えていけばきりがないとも言われ、人間は少数派だとしてもそれだけ多様なのでしょう。日本ではLGBTと書かれることが多いですが、これは一番基本的な表記です。
20年前から雇用や職場での差別・ハラスメントを禁止
さて、本題に入りますが、EUはすでに2000年に、EU加盟国に対して雇用と職場での性的指向にもとづく差別を禁止しています。EUはEU法の一つとして、加盟国への法的拘束力があるEU指令(Directive)を出すことができるのですが、「雇用と職場における平等」に関するEU指令を出して、性的指向を理由にした差別やハラスメントを禁止したのです。
これによって、性的少数者の求職者を採用に際して不平等に扱うことや、性的少数者の従業員に対してからかい、ののしり、馬鹿にするなどの行為を職場で行うこと、さらに、昇進させない、研修を受けさせないというような差別的扱いを含め、雇用と職場での待遇について、性的指向を理由とした一切の差別やハラスメントを禁止する国内法の整備を、全加盟国が求められました。
例えば、前回レッスンの判例にあったルーマニアでは、同性婚も同性パートナーシップ制度も認められていませんが、EU加盟国なので、こうした差別やハラスメントは国内の法律で禁じられています。
同じく2000年に公布された欧州連合基本権憲章第21条には、「性別、人種、肌の色、民族的社会的出自、遺伝的特徴、言語、宗教・信条、思想、国内少数民族出身、財産、出生、障害、年齢などの理由による差別」の禁止とともに、「性的指向による差別」の禁止も明記されています。そして、憲章違反については裁判で問われる可能性があります(前回レッスンの、ナイジェリア人男性への人権侵害の判例を参照)。
EUの母体となった共同体発足時からのメンバー国のオランダが、同性婚合法化を世界で最初に承認したのも2000年ですから、こうしたEUの政策が、オランダやその後に続くヨーロッパでの同性婚合法化と連動し、後押ししてきたとも言えるでしょう。
EUはさらに、差別禁止のための決議や勧告、中長期行動計画とアクションリストの作成、全加盟国への実態調査などを実施し、調査結果にもとづいて、性的少数者の人権についての授業の導入や、ヘイトクライム禁止法の制定、警察官へのヘイトクライム取り締まり研修などを勧告してきました。ここ数年は、LGBTI人権年次報告書を発表するほか、ソーシャルメディアツールキットの作成、情報ネットワーキング、市民団体とのコラボレーションなど、理解促進のための各種プログラムを行っています。
今年2月には、今後5年間の「LGBTIの未来 アクションリスト(2019-2024)」を決定し、性自認の法的手続きを人権侵害なく適切に行うことや、同性婚家族の保護など、新しい課題についても行動を取ることを呼びかけています。
外交でもLGBTI人権を重視
EUは、外交でも性的少数者への差別禁止を重視しています。諸外国で活動するEUの外交官向けに「LGBTの人々によるすべての人権の享受を保護・促進するためのツールキット」(2010年)を作成、さらに、EU外交の原則の一つとして「LGBTIの人々によるすべての人権の享受を保護・促進するためのガイドライン」(2013年)を発表しました。
このガイドラインでは、「LGBTIの人々のために新たな人権が作られることはないが、これらの人々は他のすべての人々と同じ権利を持っている」とし、「LGBTIの人々が、迫害、差別、いじめ、虐待、拷問や殺人を含む過激な暴力行為の犠牲者となり、投獄されたり、死刑に処されたりしている世界の状況に、重大な懸念を抱いている」と表明しています。EUがこうした懸念を示すのは、前回触れたように、第二次世界大戦中のホロコーストという重大な人権侵害の経験が、戦後ヨーロッパでのマイノリティの人権保護の努力につながっているという、その精神性の表れのように感じられます。
EUに加盟を望んでいる国々は、国内状況がガイドラインに沿っているかどうかが加盟承認にかかわってきますし、EUとパートナーシップを結んでいる近隣諸国にも、LGBTIの人権保護が求められます。また、EUから開発援助を受けている国が人権侵害を起こした場合は、援助が見直されることになります。日本はこれまでのところ、援助対象国での性的少数者の人権状況を見て、援助をするかどうか決めるということはしていないので、この点は今後の参考となるでしょう。
EUは、さらに、グローバルな資金援助枠を作って、LGBTIの人々が特に危険な状態にさらされている国で支援活動をする市民団体などに資金を援助し、多くの貢献をした団体への表彰も行っています。今年3月には、外交における差別禁止についての新たな人権ガイドラインを採択し、性的少数者の人権保護も含めた「人権ベースの国際開発協力」を進めることを決めています。
EUと言えば、ヨーロッパの政治経済問題を扱う巨大組織というハードなイメージがありますが、LGBTIの人権といった人間性のテーマにも力を注いできているという、意外な一面もあるのです。
反対勢力は中東・アフリカに多いが、ヨーロッパでも
こうして性的少数者の人権保護がヨーロッパで進められる一方、EUが懸念するように、世界の中ではそうした人々の人権を認めず、同性婚に絶対反対の立場を取る国もまた多く存在しています。今年4月、ブルネイで、同性愛行為に石打ちによる死刑を科すという厳格な刑法が施行されたと大きく報道されたことは、記憶に新しいところです。イスラム教のシャリア法を適用した厳罰ですが、サウジアラビア、イラン、イエメン、ナイジェリア(北部)、スーダン、ソマリアでも、同性愛行為は死刑に処せられます。
こうしたイスラム教が主流の中東やアフリカの多くの国々では、性的少数者はその疑いがあるだけでも犯罪者として逮捕され、処罰される危険があります。東南アジアではブルネイだけでなく、マレーシアでもシャリア法が適応されており、昨年は違反者に公開むち打ち刑が実施されました。
しかし、反対はイスラム教によるものに限ったことではありません。ヨーロッパでも、反対意見は根強く存在しています。一つはキリスト教、特にカトリック団体からの反対です。保守的なカトリック人口の多いイタリアは、G7の欧米メンバー国の中で唯一、同性婚を認めていません。ただし、2015年の欧州人権裁判所による違法判決(前回レッスンを参照)によって取り組みが進められ、2016年に同性パートナーシップ制度が制定されました。
ヨーロッパ内の地域による温度差もあります。先に挙げたルーマニアを含む東欧や中央ヨーロッパの国々の多くは、正教会の影響で同性婚反対派が主流を占めています。
日本では、最近になって急速に、取り組みの必要性が言われるようになってきました。しかし、この国にはEUのような地域リーダーシップはありませんし、ヨーロッパ諸国並みの勢いでLGBTQの人々の権利が推進されるのはむずかしそうです。それでも、世界で性的少数者の人権ディフェンダーになろうとする意気込みを見せるEUの外交姿勢から、なにかの力を得ることはできるのかもしれません。EUには
文・晏生莉衣(あんじょうまりい)
東京生まれ。コロンビア大学博士課程修了。教育学博士。二十年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事後、現在は日本人の国際コンピテンシー向上に関するアドバイザリーや平和構築・紛争解決の研究を行っている。