取材・文/坂口鈴香
2023年3月に「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」(SDSN)が発表した「World Happiness Report(世界幸福度報告書)」によれば、日本人の幸福度ランキングは137か国中47位だった。前年からは改善したとはいえ、主要7か国(G7)では最下位だ。上位にはフィンランドやデンマーク、アイスランドなどヨーロッパの国々がランクインしており、特に北欧の国が目立つ。
これまでに、「『今が一番幸せ』歳を取るほど幸せになる『百寿者の多幸感』とは(https://serai.jp/living/356630)」や「ひとり暮らしの方が幸せ?|コロナ時代の孤独の処方箋(https://serai.jp/living/1003069)」で、幸福感について考えてきた。
似たような環境で暮らしていても、それを幸せととらえるか、不幸だととらえるか、心の持ちようひとつなのではないか。よく挙げられる例が、コップに入った水が「まだ半分ある」と思えるのか、それとも「もう半分しかない」と思うのか、というものだ。そんな「心の持ちよう」について考えさせられる方と出会った。
毎晩二人で飲めれば幸せ
70代前半の大沼さん夫婦(仮名)は、介護が必要ではないうちに入居する「自立型」の老人ホームで暮らしている。子どもがいないので、二人とも元気なうちに終の棲家を探して移り住むことにしたのだという。二人はずっと共働きで、家事も平等に分担してきた。しかも、料理はまったくしていない、と聞いて少なからず驚いた。
夫は「妻に料理をつくってほしいと思ったことも、言ったこともありません。私も妻も忙しく、仕事から帰って料理をする余裕はありませんでしたので、毎食外食かできあいのもので済ませてきました。料理をしたり洗い物をしたりするストレスがなくて、それはそれで悪くなかったですよ」と、あっさりと言う。
リタイアして老人ホームに入ってからは、朝食と昼食はホームのレストランで、夕食は居酒屋で晩酌しながらとるのが日課となっている。自立型の有料老人ホームにレストランはあるが、三食レストランでとるという人はそう多くない。介護型のホームとは違い、居室にミニキッチンがついているので、朝昼食は簡単なものを自分でつくるという人が多い。だからホームで自炊しないという大沼さん夫婦は少数派だ。
二人が入っているホームは、前払い金が数千万円とかなり高級なホームだ。ところが、食事はさほど評判が良いわけではない。いずれ介護が必要になって三食ここで食べなければならなくなったら、つらいのではないかと同情したくなるほどなのだが、大沼さん夫婦はここでの食事にまったく不満はないという。むしろ「何でもおいしくいただいています」と満足気なのだ。
「私たち、あんまり味にこだわりがないのかな。味オンチなのかもしれません。どこで何を食べても不味いと感じたことがないんですよね。毎晩二人で飲んでいられれば、それで幸せなんです」
互いを「さっちゃん」「ゆうさん」と呼び合う大沼さん夫婦の満ち足りた笑顔が印象に残った。
人につくってもらった料理は何でもありがたい
同じような言葉は、90歳過ぎまで九州で一人暮らしをし、その後息子の住む首都圏のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に移り住んだ94歳の船田弘子さん(仮名)からも聞いた。
「食事はおいしいですか?」ホームでの生活や満足度を確かめる手段のひとつとして、筆者がよくする質問だ。船田さんに聞くと、「おいしいですよ。誰かにつくってもらったものだから何でもありがたく、おいしくいただいています」と模範的な回答が返ってきた。
同席した息子は、母親の言葉を補うようにこう言った。
「うちは男ばかり3人兄弟だったので、食べ盛りのころ母は食事の支度に追われていたと思います。実をいうと、母はあまり料理が得意じゃなくて、レパートリーも少なかった。そんな母の料理を食べて育ってきた私から見ると、ここの食事はかなり良いと思います。子どもとしては、温かい食事が出てくるだけで十分ありがたいです」
ホームで穏やかに暮らす大沼さん夫婦と船田さんを見て思った。味にうるさかったり、評判の良い飲食店を巡り歩いておいしいものを追求したりする人たちは、元気な間はいいが、高齢になって好みのものが食べられなくなると幸福度は一気に下がるのではないだろうか。だったら、いっそ“味オンチ”くらいの方が幸せなのではないか、と。
【後編に続きます】
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。