取材・文/坂口鈴香
北村昇さん(仮名・64)は妻の美佐子さん(仮名・63)の異変を感じてから数年経ってようやく病院に連れて行くことができた。若年性アルツハイマー型認知症の診断が出たが、受診するまでの間に美佐子さんの症状は進行していた。徘徊や攻撃が激しくなり、北村さんは精神的に追いつめられていた。社会福祉協議会主催の認知症の勉強会のあと、アンケートに美佐子さんの認知症で家族が大変なので相談したいと記入し、助けを求めた。これが突破口となって介護サービスを利用できるようになり、周囲の人にも病気のことを告げて協力を仰いだ。
若年性認知症になった妻(2)はこちら。
入院、手術に付き添う
予想外のことも起きた。
美佐子さんに子宮筋腫が見つかり、手術のために入院することになったのだ。北村さんも2週間病院に泊まり込んで付き添うことになった。
「認知症の妻に付き添うのは気を遣いました。自分の手術のときよりもずっと大変でしたね」
入院中も美佐子さんは妄想の中でお気に入りの人と会話を続けていたという。
さらに退院後、美佐子さんの体調に異変が生じる。
「退院して1か月ほど経って、すごい便秘になっていることに気づきました。お腹はパンパン、妻も痛がる。何回も取り出そうとしましたが、少ししか取れません。病院が開くのを待って診てもらったところ、ひどい便秘の影響で尿管も圧迫され、おしっこも大量にたまった状態でした。腎臓に逆流するところだったそうです」
認知症の人は便を出したかも覚えていない。それから、北村さんは美佐子さんがトイレに行くたびに確認するようになった。さらに、美佐子さんは一人で入浴も着替えもできなくなっていたので、北村さんの負担は増えた。
「歯磨きもトイレも私が促さないとしないので、妻のご機嫌を伺いながらの作業になります。妻の気分は刻々と変化するので、なかなか大変です」
妻と離れる時間ができて気持ちに余裕ができた
とはいえ、美佐子さんが日中デイサービスに行くようになると、北村さんの気持ちは隋分軽くなった。はじめは嫌がる美佐子さんに北村さんが付き添ったが、一人で行けるようになっても、行き渋る美佐子さんを見ると罪悪感にさいなまれたという。
「それでも次第に慣れてくれて、要介護3となった今は、週6日デイサービスに行っています。私も妻と離れることができて、精神的に余裕ができました。1日中妻と一緒に過ごしていたころは互いにイライラして、私も怒鳴ったり、つい手をあげたりしていたのが、穏やかに接することができるようになっています。ブルーベリーやブドウ栽培にも専念できるようになりました」
北村さんの気持ちの変化が美佐子さんにも伝わるのか、夜中に暴言を吐くこともほとんどなくなった。美佐子さんと夢見たブドウ栽培は、北村さん一人で行うことになったのは計算外だったが、大きな生きがいになった。
愛犬との散歩の時間も美佐子さんと過ごす大切な時間だ。
「朝晩の散歩のとき、必ず妻の手を取って、景色を見ながら気持ちが豊かになるような会話をするように心がけています。孫や子どものこと、山々の景色、田んぼの稲穂のこと……自然に恵まれたこの地で暮らせる幸せを感じます」
米寿を迎えた母親、末子さん(仮名)の存在も大きい。「母は最強の味方」と言う。長く農業に従事していただけあって、腰は曲がっているものの身体は丈夫で、病気や介護とは無縁だ。末子さんが食事の支度などの家事を担ってくれるから、在宅での介護生活も成り立っていると感謝する。
「私と母、どちらかが欠けると、子どもたちにも負担をかけてしまいます。母は『お前が倒れたらみんなが困るから、無理したらあかんで』と言って励ましてくれますし、私も同じことを母に言っています」
前向きな北村さんだが、「妻の病気は人生の試練だと思うし、ネガティブな気持ちがまったくないわけではない」と正直な気持ちを明かす。
「もしこんな病気にならなかったら、二人で旅行にも行けただろうし、農園で二人の第二の人生を送れただろうと思うこともあります。でも幸せだった過去を振り返ったり、仮定の未来を想像したりしてもつらいだけなので、今の現実だけを見るようにしています」
それでも、美佐子さんが楽しそうに笑うと、これ以上望むものはないと思う。今後も在宅介護が続けられるかはわからない。どんな形になるかはわからないが、しっかり看てやりたいと思っている。
「一番大切なのは『どれだけ妻を愛することができるか』。これがすべてです」
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。