取材・文/坂口鈴香
上岡晋さん(仮名・62)は妻の母、喜佐子さん(仮名・88)が一人で暮らしていた高知に移り住み、同居して介護している。レビー小体型認知症による言動でストレスが溜まることもあるが、実親でない分客観的にとらえることができている。
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施設入所というボタン
「介護の経験はお金にかえられない」と上岡さんは言うが、喜佐子さんの介護費用や生活費は喜佐子さんがアパートや駐車場を所有していて、その収入で賄えることは大きい。生活費は上岡さん自身の退職金も切り崩しているとはいえ、妻からの送金なしでもやっていけているという。
「男の私が、義母の資産管理をすることになって良かったことはあります。それが交渉相手になめられないこと。これまで管理に不動産屋を入れてなかったので、多額の家賃の滞納があり、夜逃げもあったんですが、私が管理するようになって家賃はちゃんと入るようになりました。もっともこれは男だからというより、持っていた知識が役立っているということでしょうね」
上岡さんは、何が何でも在宅介護を続けるという気持ちはない。喜佐子さんのこれから先のことも考えているという。
「状況が今以上に悪くなったら、施設入所というボタンを押せるよう、施設を調べ、見学するなどの準備はしています」
ボタンを押すタイミングは、便を漏らすようになったとき、と決めている。
「毎年はじめには、今年ボタンを押すときが来るだろうかと考える」と明かしてくれた。尿は漏らすことのある喜佐子さんだが、便はまだ大丈夫だそうだ。
「たまに、床に落ちていることもありますが、それは義母が恥ずかしいから自分で処理しようとした結果なので、その気持ちがあるうちはまだボタンを押さないでいいと思っています」
こんな見極めができるのも、客観的な視点があればこそなのだろう。
世間からは変な目で見られているのかな
昔に比べると、嫁でなく息子が介護することが増えてきた。しかし、まだまだそれが当たり前というわけにはなっていない。そんななかで、妻の母親のもとに単身移り、同居して介護する男性、というのは奇特な存在だ。60代で気負うことなく、ごく自然に実践できる人がいることに驚くばかりだ。喜佐子さんが奔放な人であるのと同じように、良い意味で規格外れな男性であるのは確かだ。
それだけに、上岡さんの妻がうらやましくもあるのだが、この感覚自体、娘がいるのなら介護は娘がやるべきという固定観念に縛られているのかもしれないと思ったりもする。
上岡さんの妻はどう思っているのか。こんな恵まれた環境を、家事をシェアするのと同様、当たり前と思っているのだろうか。
「私が妻に『お前の親だろう』という思いがないのと一緒で、妻にも『本当は娘の自分が介護するべき』という感じもないですね。妻は心の底では老いた親を見たくないのかなと思うこともあります。ただ一度、私が義母を介護していることに対して『世間からは変な目で見られているのかな』と口にしたことはあります。私が『そんなふうに思ってるの?』と聞くと、『それほどでも』と言ってはいましたが。私の実父の介護経験からも、妻にも最後の1か月でも義母と生活をともにしてほしい。そうでないと後で後悔することになるんじゃないかとは思っています」
それでも妻は上岡さんへの感謝の言葉は忘れない。それは素直にうれしいと上岡さんは言う。
そして、喜佐子さんも毎朝上岡さんに「こんなにしてもらって、ありがとう」「ご飯、おいしい」と言う。
「朝は“良い子”なんですよ。デイサービスから帰ると、だんだん人相が悪くなってくる。デイサービスで溜まったストレスを解放させるために、暴言を吐きたくなるのかもしれませんね」
と、どこまでも理解のある、そして理想的な娘の夫なのだ。もし、こんな理想的な娘の夫がいたとしたら、あなたは娘の夫に介護してもらいたいですか?
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。