自分の部屋が祖母の部屋に。急に進む自立に戸惑う時間はなかった
専門学校2年生のときに就職活動を本気でしていなかったこともあり、どこにも採用されなかったそう。その事実から逃げるように後2年別の専門学校に進学しようと思っていた矢先、父方の祖母が寝たきりになり、母親は仕事を辞めて付きっきりで世話をすることになります。そのとき初めて自立しなければという思いが強くなったと言います。
「学校は服飾系の専門学校だったんですが、真面目に就職活動もせずに、高校から大学に進学した友人はあと2年も学生で、私も22歳まで働きたくないって思いました。私の家は共働きで結構裕福だったから、また学校に行かせてもらえるだろうと甘い考えもあって。
でも、祖母が足を悪くしてしまって、下の世話をする人が必要になりました。母親は潔くスパッと仕事を辞めて、祖母を家に招くために家をバリアフリーにリフォームしたりと、急に色々なことが動きだして。それで子どもから見ても家のお金事情の大変さはわかったというか、何としても就職しないといけないと思いました。当時兄は大学院に進学していてまだ学生だったから、私がお金のかからない子にならなければと」
就職先はシフト制である飲食店の接客業に。就職の少し前に一人暮らしも始めます。
「シフト制の仕事を選んだのは、土日は父親も仕事が休みなので、平日に母親の手伝いをできる日を作ったほうがいいと思ったからです。学校で習ったものはまったく関係なかったけど、とにかく就職したかったので。
一人暮らしを始めたのは、私の部屋が祖母の部屋になるからです。リフォーム前に両親から一人暮らしの話をされていて、職場と家の間ぐらいのところにアパートを借りました。私は高校から帰宅部でアルバイトばかりして貯金が趣味みたいなところもあったので、お金は自分で出しました。親が出してくれると言ってくれたんですが、拒否しました。私のためにお金を使わすことが悪いことのような気がして」
親を支えたい思いと同時に我慢することを覚えていく中、自身に病気が見つかり……。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。