取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「私は自立が早かったし、いつからか親はしてもらうものではなく、してあげる対象になっていた。仲は良いんですが、甘えることが自然にできなくなっていたんだと思います」と語るのは、美子さん(仮名・37歳)。彼女は現在、大阪市内で旦那さまとの二人暮らしをしています。旦那さまとは1年前に入籍したばかりで、結婚には両親の後押しがあったのだとか。
両親はいつでもやりたいことを応援してくれた
美子さんは奈良県出身で、両親と4歳上に兄のいる4人家族。父親に怒られた記憶はなし。逆に気を遣って優しくしていたと当時を振り返ります。
「父親は私に甘々でしたね。父親は平日は帰りが遅くて、私は先に寝ていたんですが、私の部屋に来て酒臭い顔を近づけてくることがあって、何度も目が覚めてしまった記憶があります。それに小さい頃ですが、起きているときでもよく頬をこすり合わせてくることがあって……、髭がチクチクして大嫌いでしたね。でも、あまりに嫌がるとわかりやすくしゅんとしてしまうから。一緒にゲームをしようと気を遣って誘っていました(苦笑)」
一方の母親は父親の分まで怖かったとか。
「ニコニコしているんですけど、何か私が言うことを聞かないことがあれば、瞬時にキレて、瞬時に手が出てくるようなタイプでした。何でもハッキリ言うので、何度も傷ついたことがあります。私は小さい頃から大きな鼻がコンプレックスだったんですが、たしか中学生ぐらいに母親が毎日これに鼻を挟んで寝なさいって何かの器具を持ってきたんです。自分でもある程度気にしている部分ではあったものの、親がここまでするほど醜いものなんだって傷ついた記憶が残っています。メイクでは鼻には多めにノーズシャドウを入れてしまうのは、そのせいかもしれません(苦笑)」
それでも2人のことは大好きだったと言う理由に、美子さんは意見を認めてくれたことを挙げます。
「小さい頃でいうと、私がやりたいと言った習い事は全部やらせてくれました。その中で続くものもあれば続かないものもあって、そのときでさえ『合わなかったって早めにわかって良かったね』と言ってくれていました。今振り返るとピアノに水泳にバレエを習っていたんですが、安い月謝じゃなかったはずなのに。高校や専門学校に進学したいと言ったときも、『やりたいことならやってみなさい』と。学校での出来事も積極的に話を聞いてくれましたね」
【自分の部屋が祖母の部屋に。次ページに続きます】