文/堀口茉純(PHP新書『江戸はスゴイ』より転載・再構成)
春のレジャーといえばお花見ですが、庶民までもがお花見を楽しむようになったのは江戸時代のこと。そして江戸の花見の名所は、八代将軍・徳川吉宗に縁の場所が非常に多いのです。
まずは百花の魁=梅の花。江戸の郊外に位置する亀戸周辺は、古くから梅が多い土地柄で、特に水戸黄門こと徳川光圀が、「龍が地に臥せているような枝ぶりである!」として命名した名木・臥龍梅が有名でした。
のちに、これを暴れん坊将軍こと徳川吉宗が見に行ってみると、うねった枝の先が地面に潜り込み、新しい根を生やしてドンドン増えていたために、「何代も受け継がれ絶えることがないだろう!」と代継ぎ梅と命名。非常に縁起がいいとして、江戸城に梅の実を納めさせるようになったといいます。
箔がつきまくった梅を一目見ようと、江戸中から観梅客が訪れるようになったために、この場所は清香庵、別名・亀戸梅屋敷として整備され、名所化しました。幕末には、歌川広重が浮世絵に描いたことでも有名です。
梅の次に咲く、桃の花の名所も吉宗が絡んでいます。犬公方こと五代将軍・徳川綱吉が江戸郊外の中野に造った巨大な犬小屋の跡地に、桃を植えて桃園として整備したのは吉宗でした。
さらに桃の次に咲く、桜の名所を作ったのも吉宗。それまで、江戸の花見の名所といえば上野の山だったのですが、山内にある寛永寺が歴代将軍の菩提寺となると、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎができなくなってしまいました……。
そこで、江戸郊外の飛鳥山に1200本あまりの桜を植樹して整備。将軍自ら率先して出かけて、無礼講の酒宴を開き、新たに生まれた花見の名所をPRしたのです。
吉宗はこれ以外にも、隅田川上流の土手沿いや品川の御殿山など、江戸の郊外に元々あった桜の名所を整備しました。
【江戸に花見を流行らせた将軍吉宗の真意。次ページに続きます】
