文・絵/牧野良幸
女優の八千草薫さんが10月24日に亡くなった。享年88歳。
近年はおばあちゃん役で見ることが多かった八千草薫であるが、清楚で上品な雰囲気はおいくつになっても健在だった。ドラマではそれこそ超が付く人気俳優や若手俳優と共演してきたわけであるが、いつでも僕を惹きつけたのは八千草薫の方だった。
年齢を重ねても輝いている女優さんは他にもいるけれども、おばあちゃん役で主役以上に輝いてしまう女優というと八千草薫のほかは見当たらない。たたずまいが常に庶民的だったせいで実感がともわなかったけれど、やはり大女優だった。
実際、八千草薫の女優生活は長い。いつ見ても清楚で美しいから、キャリアをスタートさせたばかり、または中堅どころの女優さんの感覚で見続けていたが、実は日本映画の最盛期から活躍していた人である。
八千草薫は戦後の1947年(昭和22年)に宝塚歌劇団に入団。宝塚で一世を風靡しつつ映画にも出演した。1957年(昭和32年)の退団後も、昭和、平成と映画やテレビドラマで活躍してきたのはご存知の通り。
今回取り上げる『男はつらいよ 寅次郎夢枕』は1972年(昭和47年)暮れの公開作品で、八千草薫が41歳の時の出演作だ。演じるのはシリーズ10作目のマドンナ役。千代という寅さんの同級生である。
寅さんがある日柴又に帰ると、美容院を開いていた幼なじみの千代と再会する。たちまち寅さんは千代を好きになってしまうが、その時とらやに間借りしていた東大の助教授、岡倉(米倉斉加年)も千代を好きになってしまったのだった。
こうなるといつものパターンか。寅さんは岡倉のために一肌脱いで、千代との仲を取り持ってやる。めでたく結ばれた二人を後に、自分の恋心を胸にしまった寅さんは今日も旅に出る……
なんて、この映画はならないのである! 寅さんが岡倉のために一肌脱いでやるところまでは同じだが、そのあとの展開が違った。
千代を呼び出した寅さんは、いざとなると何も言えないでただ歩いてばかり。とうとうこう切り出した。
「何のために呼び出したか、察しはついてるだろ?」
うなずく千代。
「あんまりパッとしない相手じゃないけどさ。このあたりで手を打った方がいいんじゃねえかなあ」
「ずいぶん乱暴なプローポーズね……寅ちゃん……」
「仕方ねえさ、俺はこういうことは苦手だしさ。じゃあ、いいんだな?」
お千代は照れ臭そうにうなずいた。
「ようし。じゃあアイツに知らせてやるか。喜ぶぞ」
ここで千代は結婚の相手が寅さんではなく、岡倉と知るのである。
「……あたし、勘違いしていた」
そう笑って肩を落とす千代。「誰と勘違いしたんだよ?」と問う寅さんに
「寅ちゃん」と答える千代。
「私ね……寅ちゃんと話していると……何だか気持ちがホッとするの」
ようやく寅さんも気づいた。その途端、腰砕けになる。
「じょうじゃん、じゃないよ……、そんなこと言われたら誰だってびっくりしちまうよ」
「冗談じゃないわ」
そう千代が応えると哀愁のある音楽が流れ、胸がキュンとなってしまう。今回ばかりは寅さんのために胸を痛めるのではなくマドンナに対してだ。それが他ならぬ八千草薫なのだから僕の胸の痛みも強烈である。いつもの寅さんの失恋より100倍も悲しい。
焦るばかりで言葉が出ない寅さんに、千代はニッコリ笑って「冗談よ」。自ら助け舟を出して、一人で先に帰っていく。ここまでの八千草薫の演技が素晴らしい。つつしみ深い仕草や表情、喋り方の中にいろいろな感情が現れている。胸が締め付けられるシーンだ。
映画が公開されてから47年。これまでならビデオやDVDで観て、たまにはマドンナがフラれる展開も味わいがあっていいと思ったかもしれない。
しかし八千草薫が亡くなってしまった後は同じ気持ちで観ることができない。今なら「ここは寅さん、踏ん張って千代を嫁にして欲しかった。それで“男がつらいよシリーズ”が終わってもいいじゃない」と強く思う。憧れの八千草薫を、たとえ映画でも悲しませたくないという気持ちが働くのかもしれない。
八千草薫ほど長い間、憧れの女性像として活躍した女優もいないだろう。今後も多くの人の心の中で生き続けるに違いない。改めてご冥福をお祈りします。
【今日の面白すぎる日本映画】
『男はつらいよ 寅次郎夢枕』
製作年:1972年
配給:松竹
カラー/98分
キャスト/渥美清、倍賞千恵子、八千草薫、米倉斉加年、笠智衆、田中絹代、松村達雄、三崎千恵子、秋野太作、前田吟、太宰久雄、佐藤蛾次郎、ほか
スタッフ/監督:山田洋次 脚本:山田洋次、朝間義隆 音楽:山本直純
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp