文・絵/牧野良幸

田中邦衛さんの訃報が届いた。3月24日に亡くなられたという。88歳。身近な俳優がいなくなってしまうと自分の一部も失われたような気がして悲しい。謹んでご冥福をお祈りします。

田中邦衛さんというと若大将シリーズの“青大将”がまず頭に浮かぶ。あの加山雄三と同じくらいの存在感だった。それは70年代の映画『仁義なき戦い』での情けないヤクザ役でも同じだった。どんなにちょっとのシーン、端役でも喋りかたや表情が独特で、つくづく個性的な俳優だったと思う。

しかし今回は若大将シリーズでも代表作の『北の国から』でもなく、あえて『学校』を取り上げたい。1993年の山田洋次監督作品である。主演は西田敏行。しかし田中邦衛の存在が大きい映画だ。田中邦衛はこの映画で日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞している。

『学校』は夜間中学が舞台である。実はこの映画を見るまで、定時制の夜間高校については知っていたが、夜間中学については知らなかった。夜間中学は義務教育を受けられなかった社会人や在日外国人、それからわけあって昼間の学校に行けない人たちが通っている。

田中邦衛が演ずるのは生徒のイノさん。年齢は50歳をすぎで一人暮らし。仕事は服の販売。メリヤスをリヤカーに乗せ自転車で引いて売り歩いている。

しかし映画の最初、教室にイノさんはいない。イノさんは生まれ故郷の山形に帰って入院中という設定だ。イノさんからのハガキでは3月の卒業式には出たいといっているのだが。

映画は他の生徒たちのエピソードを描く。焼肉店を経営する年長のオモニ、清掃会社に務めながらも学校の授業には本気になれないカズ、中国人と日本人を両親に持つチャン、不良娘のみどり、昼間の学校は不登校になり夜間中学に入ったえり子。頭に障害を抱える修。

主人公は担任の黒井先生(西田敏行)。“黒ちゃん”と呼ばれている。西田敏行はこの映画では受け身に回った演技で生徒に寄り添う役作りだ。こういう西田敏行も大変素晴らしく、生徒を暖かく見守る黒井先生の眼差しが映画を見ている者の目となる。

映画前半のそれぞれの生徒のエピソードだけで、山田監督のヒューマニズムに感動してしまうのである。このまま終わっても十分素晴らしいと思うのだが、後半からイノさんが登場すると映画の核がイノさんとわかる。田中邦衛が映画をより深いものにしている。

入院していたイノさんの訃報が、ある日学校に届くのである。

黒井先生は急きょホームルームを開く。本当は深刻な状態だったことを知らされていなかった生徒たちは衝撃を受ける。ホームルームはイノさんのことを話し合って冥福を祈ることにした。ここから回想で、イノさんのこれまでの人生や一緒に過ごした日々が語られる。

知人の助けを借り夜間中学の門を叩いたイノさん。酒を飲んだ勢いで学校に来たのだが……。

“みるく”を“ミルク”と書くのに自信がないイノさん。しかし競馬の馬の名前はカタカナでも書ける。

「オグリキャップには、ひとこと言いたいことがあるんだよ」

と教壇に立って、みんなに有馬記念の話をぶつイノさん。

田島先生(竹下景子)に掛け算を教えてもらうイノさん。

「ロク、ロクはサンジュウロク」

「オレ、ロク、ロクとくると1万3千円とんで50円ときちゃうんだよナア。去年の第5レース、ロク、ロクのゾロ目で大穴当てたんだよ」

イノさんは田島先生が好きだった。習った文字でハガキを書いて黒井先生に出すという課題では、田島先生にハガキを書いて結婚を申し込んだ。

困った田島先生は黒井先生に相談する。黒井先生は田島先生のかわりにイノさんに話をすることにした。オモニが経営する焼肉店にイノさんを呼び出す。

「イノさんのハガキ、ちゃんと田島先生のところに着いたよ」

「郵便局の人よく読んでくれたな。でもおかしいな、田島先生に出したんだよ、俺」

「そのことなんだ。イノさん苦労人だから察しががつくだろ……」

「断るってことか。だったら最初からスパーと言ってくれれば俺だって男だ、諦める」

「よし飲もう、イノさん」

しかしイノさんは悪酔いし黒井先生にからんで大喧嘩になったのだった。イノさんは何も覚えていないのだが。

楽しい思い出もある。みんなと行った奈良の修学旅行だ。しかしイノさんの肉体はボロボロになっていた。ある日大病であることがわかり、イノさんは生まれ故郷の山形に帰って療養することにした。卒業式に出ることだけはみんなと約束して……。

死んでしまったイノさんの人生を考えながら、黒井先生と生徒たちは“幸福”とは何か話し合う。外にはいつのまにか雪が降り始めていた。

映画ではイノさんが背中を丸めて机に向かっている姿が印象的である。他の生徒も問題は抱えているものの、どこか夜間中学の教室に馴染んでいる。居場所を見つけた安住感がある。

しかしイノさんは教室の中でも格闘しているように見える。読み書きに格闘し、算数に格闘し、背負ってきた重い人生と格闘している。イノさんが汗をかいていると映画が汗をかいているようである。イノさんが喜んでいると映画が喜んでいるようである。演じているのが田中邦衛だからそう感じるのだろう。

この感触は『学校』だけではない。そういえば若大将シリーズの“青大将”も、『仁義なき戦い』のヤクザもそうだった。映画を超えるほど存在感のあった役者だったのだと思う。あらためて田中邦衛さんのご冥福をお祈りしたい。

【今日の面白すぎる日本映画】
『学校』
公開:1993年
配給:松竹
カラー/128分
出演者:田中邦衛、西田敏行、竹下景子、ほか
監督: 山田洋次
脚本:山田洋次、朝間義隆
音楽: 冨田勲

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。ホームページ http://mackie.jp

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