“歌手”オードリーへの曲
さて、こうした名画の名曲とジャズの関わりはというと、もちろんさまざまです。映画のイメージを原曲とは違うやり方でアピールする行き方もあれば、ジャズの王道に従い、あくまで「素材」として自由に表現する方法もあるというわけです。
たとえば小野リサによるフランス語の「男と女」などは、映画のサントラのイメージをかなり正確に写し取りつつもリサらしさ、つまり親密な優しさを的確に表現しています。つまり名画のイメージに沿いつつ自己表現もちゃんと行なっているケースですね。
他方、ジャズ・ヴォーカルの女王、サラ・ヴォーンが歌う「ムーン・リヴァー」(映画『ティファニーで朝食を』)こそ、今回のテーマ「名画の名曲」にふさわしい楽曲といえましょう。つまり、映画の名曲がスタンダード化しているケースです。
もちろんサラの歌唱が素晴らしいことはいうまでもないのですが、その前にいろいろとお話ししておきたいことがあるのです。まずは歌っているのが、この楽曲が使われた名作映画『ティファニーで朝食を』の主演女優であるオードリー・ヘップバーン自身であるというところです。
ご存じのようにオードリーの熱狂的ファンは世界中におり、私の周りにも最愛の女優ナンバー・ワンにオードリーの名を挙げる友人たちが何人もおります。とはいえ、彼女の人気・実力は、その可憐な容姿・佇まい、そして見事なまでにその外見にマッチした確かな演技力によって支えられてはいますが、歌唱力はこの映画が撮られるまでは未知数だったのです。
第44号「ガーシュウィン・セレクションvol.2」に登場したジュディ・ガーランドのように、10代のころから名作ミュージカル『オズの魔法使い』に出演し、女優兼歌手としてどちらの分野でも一家をなしたようなスターとは違うのですね。
つまりオードリーは、一般的には歌手とはみなされていなかったのです。いってみれば『シェルブールの雨傘』におけるカトリーヌ・ドヌーヴと同じイメージですよね。だとしたら当然ドヌーヴのケースと同じように、「吹き替え」が用いられてもおかしくはありません。しかしです、この映画の映画音楽を担当したヘンリー・マンシーニは、なんとオードリーのためにこの楽曲を作っているのです。
マンシーニといえば、今回採り上げた映画『酒とバラの日々』『シャレード』と、名作映画の映画音楽を数多く担当し、この「ムーン・リヴァー」と「酒とバラの日々」でアカデミー歌曲賞を受賞している超大物映画音楽作家です。そうした人物が、わざわざ歌手としては未知数のオードリーのために作曲したというのですから、これは注目せざるを得ません。
というわけで若干脇道ですが、映画の中のオードリーの歌を聴いてみると、やはりいいのですね。例の有名な、髪の毛をタオルで巻いたまま窓枠に腰かけ、ギターを爪弾きながらこの歌を歌うシーンです。プロ歌手のような上手さではないのですが、劇中のシチュエーションを踏まえたうえでの名演技、かつ名唱といっていいのです。映画音楽のプロ、マンシーニはこうした能力まで読んで、オードリー向けに作曲し、その期待に彼女も見事応えたということなのです。
その結果、楽曲がもつ潜在的魅力がオードリーが歌うことで倍加し、結果としてアンディ・ウィリアムスはじめ名だたる歌い手がこの楽曲を採り上げヒットし、それがスタンダード化への道を開いたというわけなのです。まさに名画が生んだ名曲の代表がこの楽曲なのです。