──笹餅は津軽鉄道でも大好評だったとか。

「駅の売店で売るだけじゃなく、津軽鉄道に乗って車内販売もしたんです。お客さんの前で、私が歌っこうたって、相棒の愛子さんが踊りました。きっかけは、お客さんから“『津軽平野』を歌って”と言われたの。あれは金木出身の吉幾三さんの歌だけど、私は“歌謡曲はうたえない、津軽じょんから節だば歌えるけどな”って冗談で言ったの。そしたら、大拍手になったのさ(笑)。それでね、いつも列車さ乗れば津軽平野から見る岩木山がきれいだなと思ってたから、即興でそれを歌っこにしたの。/~津軽平野はお山で飾る 今日の皆さん手拍子で飾る 私この場を歌っこで飾る~、って。そしたら“アンコール、アンコール”ってなってさ」(笑)

──素晴らしい美声です。

「うまいもんでしょ。アハハ、自分でうまいなんて言ったのいま初めてだよぉ(笑)。

うちのお祖父ちゃんがね、朝から民謡をうたう人だったの。青森で有名な三味線の人の伴奏でうたったりして、すごく歌上手だったんです。その民謡が自然にしみ込んでいたのかしらね。それ以来、津軽鉄道のお客さんの前で私がうたい、愛子さんが踊るようになったの。ただ、愛子さんは、私より若いのに先に亡くなったから、それが残念でねえ。ふたりでもっと続けたかったんだけどね」

──即興でうたえるとは凄いですね。

「ときどき、和歌も自然に出てくるんです。あるとき山さ入って行ったら、岩肌にツツジが簾のように咲き乱れていて、小鳥が鳴いていた。あぁ、なんて素敵なんだろうと見とれているうちに、うとうとしちゃった。そのとき、〈岩肌にすだれのごとく咲き乱れ小鳥のさえずり子守歌かな〉って出てきたんです」

──和歌も詠まれるのですか。

「詠むってほどのことではなくて、どうかした瞬間に、ふと出てきます。考えていては絶対できないのさ。去年はね、笹を採りに川沿いを歩いているうちに滑り、川に落ちるところだった。でも、野花につかまって助かったんです。ああ、よかったと思ったら出てきたのが、こんな歌です。〈川沿いの恵みの笹に手をのばす滑り転ぶや野花ささえる〉」

──東日本大震災のときはどちらに。

「あのときはさ、農林水産大臣賞をもらいに東京へ行き、その帰りに地震に遭いました。何とかうちさ着いてみたら、どこも停電で、息子や孫たちも集まって、発電機を持ってきてくれたんです。そのうち、津波で大変なことが起きてることがわかってね。もう、どうしようかと思い、震えが止まらなかった。

毎日、震災の様子をテレビで観てるうちに食欲はなくなり、身体の調子は悪くなる一方でした。検査してもどこも大丈夫だって言われたけど、1か月経っても回復しなくて、どんどん具合が悪くなる感じでした」

──被災地に笹餅を贈ったと聞きました。

「震災から1週間後、大臣賞の受賞にあたってお世話になった東京家政学院大学の上村教授から電話があったんです。“何回、電話しても通じなかったけど、大丈夫ですか”って。私みたいな者に気を遣っていただいてと思ったら、ありがたさに胸がいっぱいになって涙が出ました。

お礼にお餅を少しばかり送ったら、先生は大学の生徒さんに食べさせたんです。初めて笹餅を食べました、という生徒さん14人の礼状が届いて、その一通に“いま、大変な事態になっている東北の人たちにミサオお婆ちゃんの笹餅を食べさせてあげたい”って書いてあったんです。それを読み“そうだ! 笹餅を送ることで私も応援できる”と気が付いた。

送る場所や時期などは上村先生に知恵を借り、岩手県の久慈高校など4校へ笹餅1000個を送ったんです。そのときは24時間寝ないで笹餅をつくりました」

──丸一昼夜、不眠不休ですか。

「そうです。そしたら、久慈の高校生からお手紙がきました。“ミサオおばあちゃんは75歳で仕事を始めた、僕たちはまだ若い。励ましてくれてありがとう”。逆に、私のほうが励まされて力をもらいました。それが嬉うれしくて、笹餅は3年間送らせてもらいました」

──90歳になっても忙しいですね。

「体力が落ちてきているのは自覚していますから、無理はしませんよ(笑)。でも“この仕事をやめるとボケるよ”って言う人がいて、それは確かにあるかもしれない。私の年齢で施設に入っている人は、家族のことがわからなくなっていることも多い。

私は、働けるだけ働きます。人間は必ず死にますが、それまでどう生きてゆくのがいいか。私は少しでも皆さんに喜んでもらいたい。それが自分には一番大事なことなので、そう努めたいし、勉強したいと思います。いろんな人と接することで、得るものがたくさんありますから。

これは母の教えなんですけど、人づきあいは相手の悪いところばかりじゃなく、いいところを見なくちゃいけない。なんぼ悪い人間でも、なんかひとつはいいところがあります。そういうところを、お互い分かち合って生きていけたらいいですね。

私の母は、本当に安らかに亡くなりました。病院に入院していたんですけど“ご飯食べたの?”って聞いたら“食べたよ”って言って、それから間もなく亡くなったんです。父もまた安らかな亡くなり方だったと聞いています。私もそんな両親に倣いたいものだなと思っています」

●桑田ミサオ(くわた・みさお)
昭和2年、青森県生まれ。子供の頃から、郷土料理・裁縫・編み物などを母に教わって育つ。昭和21年、19歳で結婚。病弱だった夫を助け、弘前大学付属農場・編み物の内職・保育所等で働き60歳で退職。以後は農協婦人部の無人販売や老人ホームの慰問活動に笹餅等をつくって協力。その味が評判を呼び、75歳で起業。ミサオさんの人柄も加味した笹餅は、新聞・雑誌・テレビ等を通じて紹介されファンが増えた。平成23年、農林水産大臣賞受賞。

【桑田ミサオさんの本】
『おかげさまで、注文の多い笹餅屋です』
(桑田ミサオ著、小学館刊、本体1,400円+税)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388598

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※この記事は『サライ』本誌2017年10月号より転載しました。肩書き等の情報は取材時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工)

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