今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「家に居る時は母や妹達と愉快に話をし、時に冗談の一つも飛ばして家の中を明るくする事が大切である」
--栗林忠道
栗林忠道は明治24年(1891)、長野県の旧松代藩郷士の家に生まれた。はじめジャーナリスト志望だったが、恩師のすすめがあって軍人となり、太平洋戦争末期の激戦地となった硫黄島の守備隊総司令官をつとめた。
何年か前、クリント・イーストウッドが監督した『硫黄島からの手紙』という映画があった。スクリーンの中で、俳優の渡辺謙が栗林忠道役を演じていた。あの映画で栗林忠道の名を記憶にとどめている読者も多いことだろう。
栗林は大正12年(1923)に結婚。妻・義井(よしい)との間に、太郎、洋子、たか子という3人の子供をなした。家族思いで、硫黄島からも妻子に宛てて何通もの手紙を書き送っていた。
掲出のことばは、栗林が長男の太郎に送った手紙の中の一節。まだ少年であっても、長男として自覚をもって家を明るく支えるように頼んでいる。
幼い次女・たか子には、愛称の「たこちゃん」で呼びかけるこんな手紙も書いている。
「お父さんは、お家に帰ってお母さんとたこちゃんを連れて町をあるいている夢などを時々見ますが、それは中々出来ない事です。
たこちゃん、お父さんはたこちゃんが早く大きくなって、お母さんの力になれる人になる事ばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言付をよく守り、お父さんに安心させる様にして下さい」
どちらの手紙にも、家族を愛する父親の精一杯の気持ちがあふれている。
米軍との間で「硫黄島の戦い」が始まったのは昭和20年(1945)2月19日。日本軍はよく戦ったが、はじめから勝てる戦ではない。栗林は3月26日、将兵を率いて敵軍に夜襲をかけ、そのまま戦死したと推察されている。
残された妻の義井は、戦後、露天商や保険の外交員、寮母などをしながら子供たちを育てあげた。長男の太郎は早大理工学部を卒業し、一級建築士として活躍したという。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。