取材・文/藤田麻希
今から1000年前に、日本人の死生観に大きな影響を与えた僧が亡くなりました。その名を源信(げんしん/942〜1017)といいます。
源信は、現在の奈良県葛城市当麻近辺で生まれ、幼いころから比叡山に登り、44歳のときに、極楽に行くための方法を膨大な経典から抜粋してわかりやすくまとめた『往生要集』を完成させました。
当時は、末法の世が到来すると恐れられていた時代。僧侶だけでなく、藤原道長をはじめとする平安貴族など、多くの人に読まれ、来世を極楽で過ごしたいと考えた人たちは、この本に説かれる念仏の方法を実践しました。
さらに、その内容にもとづいて死後の世界を表した、新しい仏教絵画が誕生しました。
『往生要集』では、臨終を迎えるときのために、阿弥陀や菩薩など極楽の聖衆が迎えにやってくる様子を思い描きなさいと勧めます。そのイメージの助けとなるような阿弥陀来迎図が描かれるようになりました。『往生要集』以前から、仏画の一部に来迎のシーンが描かれることはありましたが、独立した阿弥陀来迎図が描かれるようになったのです。
和歌山の有志八幡講の国宝『阿弥陀聖衆来迎図』は、雲に乗った阿弥陀如来を33の菩薩が囲みます。楽器を手に音楽を奏でる菩薩は楽しげで、周りには華が舞います。このような様子を想像しながら、死への不安を和らげたのでしょう。
源信の『往生要集』は、六道という、人間が生前の行いによって輪廻する六つの世界の記述からはじまります。そのうちの地獄は、とくによく描かれたテーマです。地獄に堕ちて苦しむ罪人を描いた『地獄草紙』の第三段「鉄磑所」は、盗みを犯したものが鬼によって鉄の臼で体をすり潰されています。恐怖心をあおることで、極楽への思いを一層強めたのでしょう。
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そんな源信の1000年忌を記念して、関連する仏教美術を集めた展覧会が、奈良国立博物館で開催されています(~~2017年9月3日まで)。
展覧会を担当する、奈良国立博物館学芸部主任研究員の北澤菜月さんに、展覧会の注目ポイントを伺いました。
「日本の極楽浄土信仰に大きな影響を与えた平安時代の高僧・恵心僧都源信の千年忌を記念した特別展です。
源信が『往生要集』に克明に記した死後の世界のイメージは多くの人に共有され造形化されました。そのため本展では、地獄や極楽といった死後の世界を描いた絵画や、源信の周辺で描き始められた極楽へのお迎えの様を描く阿弥陀来迎図の名品を多数展示しています。昔の人の死後の世界への豊かな想像力を目の当たりにしていただきたいと思います。
また、源信は死と真摯に向き合い、人々に臨終の方法も指南しました。死後の世界へのイメージを持つことも、死に備えてよく生きるための準備といえます。
残酷な地獄の世界に震えていただきつつ、生と死に思いをはせる機会にもしていただければと思います。」
国宝約30件、重要文化財約65点が、展示替をしながらズラリと並びます。仏教美術の教科書を見ているかのような贅沢な空間に、ぜひ足を運んでみて下さい。
【1000年忌特別展 源信 地獄・極楽への扉】
■会期:2017年7月15日(土)~9月3日(日)
■開場:奈良国立博物館
■住所:奈良市登大路町50(奈良公園内)
■電話番号:050・5542・8600(ハローダイヤル)
■ウェブサイト:http://www.narahaku.go.jp/
■開館時間:9時30分~18時
※毎週金・土曜は19時まで
※入館は閉館の30分前まで
■休館日:毎週月曜
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』