今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「われわれはどこまでいっても日本人なんですからやはり、めしを食い、味噌汁を吸い、ぬかみそ漬を食べて、しっかりした日本人になるべきだと思う」
--三遊亭圓生

6代目三遊亭圓生は、朝と夕の1日2食を長年の習慣としていた。朝は9時、夕方は5時頃に食膳に向かうのが基本。就寝時間が遅くなっても夜食はとらない。酒を飲むときでも、ごく軽いものをつまむ程度にしておく。そうすると、朝は自然と腹が減り、うまい朝食が食べられる。そう考えて実践していた。

朝食の献立は、米の飯に味噌汁、漬物、干物やメザシといった昔ながらの和食。で、自筆の随想集『浮世に言い忘れたこと』に、掲出のようなことばを綴った。このことばの前には、次のようにも記している。

「近頃はパン食が多いように聞いていますが、あたくしはパンはいやですね。米を食うことがいけないと一部の人に言われているが、あたくしは不思議に思うんですよ。いままで長年米食をしてきた者が、どうして米を食べてはいけないのか」

単に個人の嗜好の問題ではない。敗戦後、生活様式が手放しでアメリカ風に流れる軽薄さに、日本人のひとりとしてしっかりと釘を指したい。そんな思いもあったのだろう。このあたり、後年、落語協会の「真打乱造事件」(昭和53年)で同協会を脱退し、一門で落語三遊協会を旗揚げしたのと同様の気骨が感じられる。こういう、うるさ型の頑固な名人がいてこそ、古典芸能は廃れることなく継承されていくという一面があるのだろう。

圓生師は明治33年(1900)大阪の生まれ。6歳から義太夫語りで寄席に出演、10歳で落語家に転身した。持ちネタの多彩さでは史上最高といわれた。軽い滑稽噺から色っぽい廓噺、下座の囃子をからませた音曲噺、そして大ネタの人情噺まで、あらゆる種類の噺を演じ、そのどれもが一流だった。私見によれば、とくに悪人をやらせたときの凄味が魅力的。残された音源を改めて聞いていると、身震いするほどだ。

もちろん、こうしたことは不断の努力の賜物。「芸は死ぬまで勉強」の口癖通り、つねに話芸の錬磨を怠らなかった。そのエネルギー源が、圓生にとっては、好きな米の飯ということだったのだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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