取材・文/藤田麻希
大正時代から昭和にかけて活動した、不染鉄(ふせん・てつ)という日本画家がいます。どの流派にも属さず、不思議な魅力にあふれた作品を残しました。
不染鉄は、美術学校を卒業し、公募展で入賞を重ね、画壇のなかで地位を確立して有名になる、という一般的な画家とは違う人生を歩みました。
明治24年(1891)に、東京・小石川の光円寺に生まれた不染鉄は、僧侶にはならず、中学を卒業すると絵の道を志し、横山大観などが所属した日本美術院の研究会員になり、本格的に勉強を始めます。
しかし、1年もたたないうちに、孤独感、将来の不安などから身を持ち崩します。そして、当時の画家の憧れの地であった伊豆大島に写生旅行に出かけたっきり、住み着いてしまったのです。海に行って魚を捕り、漁師のような生活を3年続けました。
大島から帰ってきたら、今度は京都に移住し、京都市立絵画専門学校日本画科に入学し、27歳で画学生になります。在学中から、当時、最も権威ある美術団体であった帝国美術院展覧会(帝展)に入選し、学校も主席で卒業。将来を嘱望され、実際に帝展に9回も入選したのですが、40代頃から画壇と距離を置くようになります。後半生は奈良の西ノ京に拠点を置き、中学校の校長を務めながら、好きな絵を描いて気ままに暮らしました。
不染鉄は、家、漁師町、海、富士山、薬師寺東塔など数種類のテーマを繰り返し描きました。たとえば、第6回帝展に入賞した大作《山海図絵(伊豆の追憶)》は、日本画によくある富士山をテーマにした作品ですが、一風変わっています。下から1/3に太平洋と海辺の町、中央に富士山の裾野の町、上部に白く輝く富士山と雪が降り積もる日本海側の町、という現実にはあり得ない構図です。しかし、これだけ俯瞰で捉えながら、細部を見ると、中央には列車が走り、漁船には漁師が乗り、海には魚が泳ぎ、人々の営みや自然が表されます。このような俯瞰構図と細部描写の混在が、不染鉄の作品の一つの特徴です。
もう一つの特徴は作品内に言葉が記されることです。《ともしび(裏面 海)》には、明かりが灯る家々に次のような言葉が添えられます。
「これから一家の楽しい夕餉でせう。どうしてか悲しい事がないのに㕸きそうになる。旅人は一人きりで自分の家が遠いからでせう。野も山も見えない。灯も笑い声も何も彼も今は他人のものである。母に逢ひたい。好きな人に逢ひたい。友達でもいゝ今すぐあいたい。これをかいているとこの灯は母の心に似ているねえ。母ちゃんのやわらかい手や肌や乳房に似ているねえ。そうだこの灯は母の心がうつっているのである。」
大の大人が見せられないような弱みの部分を等身大に曝け出した言葉が、心に突き刺さってきます。江戸時代以前、絵に言葉を書き入れることは一般的でしたが、明治時代に入ってから書と画は分離され、美術の本流で詞書は減っていきます。世の潮流に迎合しない不染だからこそ、このような表現ができたのかもしれません。
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そんな異端の日本画家・不染鉄の展覧会が、東京ステーションギャラリーで開催されています(~2017年8月27日まで)。学芸員の清水広子さんは次のように展覧会の魅力を説明します。
「不染鉄はこれまで幻の画家と呼ばれてきました。過去に美術館で開かれた展覧会は、奈良県立美術館での没後20年の1回だけです。本展はそれから数えて21年ぶりで、東京では初めての展覧会になります。不染鉄の作品は他の人にはあまりない不思議な魅力があり、そしてその人柄も魅力に溢れています。展覧会を通してご理解いただければ幸いです」
不染の絵や言葉には、20歳前後で両親を亡くした画家にとっての郷愁の世界が反映されています。それは、日本の原風景と言ってよいもので、体験したこともないのになぜか鑑賞している私達も懐かしくなってくる温かなものです。これまであまり注目されてこなかった画家ですが、その画力、独創性はひと目で納得できるはずです。ぜひ会場で御覧ください。
【没後40年 幻の画家 不染鉄展―暮らしを愛し、世界(コスモス)を描いた。】
■会期:2017年7月1日(土)~8月27日(日)
■会場/東京ステーションギャラリー
■住所/東京都千代田区丸の内1-9-1
■電話番号/03・3212・2485
■料金/一般900(800)円 高校・大学生700(600)円 ( )内は20名以上の団体料金 ※中学生以下無料、障がい者手帳所持者は100円引(介護者1名は無料)
■開館時間/10時から18時まで、金曜日は20時まで(入館は閉館30分前まで)
■休館日/月曜日
■アクセス/JR東京駅丸の内北口改札前(東京駅丸の内駅舎内)
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』