文/酒寄美智子
中公新書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一著、中央公論新社)の大ヒットをきっかけに、あらためて注目されている「応仁の乱」。本連載【応仁の乱を読む】では、“応仁の乱はなぜ終結までに11年もの歳月を要したのか”という点に着目し、本書をあらためて読み解いてきました。
いよいよ本稿が最終回。“終わりの見えない戦い”と化していた応仁の乱、誰がどのように幕引きを行ったのでしょうか。
■さらに8年もかかっていた!応仁の乱の“戦後処理”
もともと前将軍・足利義政(あしかが・よしまさ)とその弟・義視(よしみ)のすれ違いも一因となり拡大していった応仁の乱。幕引きの糸口となったのも、2人の関係修復でした。
乱勃発から9年あまりが経った文明8(1476)年9月、義政が西軍の大内政弘(おおうち・まさひろ)に終戦を持ち掛けたことで事態は動き出します。
「文明8年12月、おそらく大内政弘の進言に基づき、足利義視は義政に対して『西軍への参加は謀反の意思によるものではなく、伊勢貞親に命を狙われていたがための自衛行動です』と釈明し、許しを乞うた。義政はこれを受け入れ、伊勢貞親の讒言を信じたことを詫びた」(本書より)
実際、伊勢貞親(いせ・さだちか)は将軍・義尚(よしひさ)の養育係も務めるなど、義政の元・最側近。文明5(1473)年にすでに亡くなっていた貞親を口実に、兄弟はお互いの面目を保ちつつ和解の糸口をつかんだのです。
翌年の文明9(1477)年には大内政弘が降伏。義視と畠山義就(はたやま・よしひろ)はそれぞれ京都を離れ、西幕府はなし崩し的に解散――こうして応仁の乱は終わりました。
なお、畠山義就は京都を去った後もさらに約8年にわたり地方で勢力争いを繰り広げました。文明17(1485)年12月、山城の国人(こくじん=土着の武士)たちの一揆(山城国一揆)に遭い、撤収。足利義政・義尚は文明18(1486)年3月、この撤収をきっかけに義就を赦免し、応仁の乱の“戦後処理”は完了しました。
■戦勝ムードは皆無…「めでたいことなど何もない」
そうは言っても、やはり幕府の運営は以前のようにはいきませんでした。
本書の著者で日本中世史を専門とする著者の呉座勇一さん(日本史学者、国際日本文化研究センター助教)は、乱をつぶさにみつめてきた興福寺の僧・尋尊(じんそん)の日記を引き、こう綴ります。
「応仁の乱によって将軍の権威が失墜したことはよく知られている。尋尊は『応仁の乱が終わったと言っても、めでたいことなど何もない。今や将軍の命令に従う国など日本のどこにもないのだ』と記している」(本書より)
明応2(1493)年には、細川勝元(ほそかわ・かつもと)の息子・政元(まさもと)によるクーデター「明応の政変」が発生。政元は、3年前から将軍の座についていた義視の息子・足利義稙(あしかが・よしたね)を引きずり下ろし、義政・日野富子夫妻に縁のある足利義澄(よしずみ)を擁立。
以後、この「(義政-)義澄」系と「(義視-)義稙」系の対立軸は室町時代の終焉まで幕府を拘束し続けました。乱の後、確固たる政治基盤を獲得した者は一人もいなかったのです。
■新たな時代を引き寄せた大乱
著者の呉座さん自身、本書の冒頭で「応仁の乱は長期にわたって続いたことにこそ独自の意味を持つ」(本書より)と指摘。「おわりに」では、こう総括しています。
「応仁の乱は新時代を切り開いた『革命』になぞらえられることが多い。結果的にそのような意義を果たした面は否定できないが、それが変革を求める民衆運動ではなく支配階層の“自滅”によってもたらされたことに留意する必要がある」(本書「おわりに」より)
乱が長引いたことで参戦大名たちは疲弊・没落し、入れ替わるように歴史の新たな主役・“戦国大名”が台頭してきたのです。
誰も企図しないままに進行し、新たな時代を引き寄せた大乱を、当時の人々はどのような思いで受け止めたのか――。
本書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』で呉座さんは、乱の偉大な“観察者”であった二人の僧・経覚(きょうがく)と尋尊の日記を軸に、徹底して当時を生きた人々の視点に立ち、乱の全容を描いています。
そこに含まれる、観察者の希望的観測や噂、デマの類も敢えて取り上げつつ描く臨場感ある筆致こそが、本書と応仁の乱に熱い視線が注がれた要因でしょう。
300人を超える関係者が悩み、苦しみ、戦況に一喜一憂する姿を丹念に描いた本書のページを繰って、その臨場感を味わってみてはいかがでしょうか。
【参考書籍】
『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』
(呉座勇一著、本体900円+税、中央公論新社)
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/10/102401.html
文/酒寄美智子
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