今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「日と月とは人間のために動くのではない」
--佐藤春夫
佐藤春夫は明治25年(1892)和歌山・新宮に生まれた。家は代々つづく医家で、父の豊太郎も医師にして俳人。長男の誕生を《よく笑へどちら向いても春の山》の一句で言祝(ことほ)ぎ、春夫と命名した。跡継ぎの誕生を手放しで喜ぶ父母の笑顔が、目に浮かぶようだ。
ところが、春夫は早くから文学に目覚め、中学入学時、12歳で将来の希望を問われ「文学者」と答えた。上京後、25歳で発表した耽美的小説『西班牙犬の家』で文壇デビュー。以降、詩人としても活躍しながら、未来小説、評伝小説、歴史小説、推理小説など、多種多様な作品群を生み出していく。
そんな彼の創作を支えたもののひとつに、末弟の存在があった。この末弟は早くから画家か文学者になりたいという志望があり、素質もあった。ところが、長兄の春夫が文学者となり、次兄も父祖代々の医業を継ぐのを嫌ったため、父の気持ちをくんで医学博士となった。しかし、結局、若くして逝去してしまった。
後年、春夫の書いた小説『陳述』は、医学ものの犯罪小説ともいえる佳作だが、この亡き末弟が構想して書き残していた原稿を基礎に、加筆修正したものだったという。弟の遺した創作の種を、花として咲かせてやりたいという思いが、春夫の中にあったのだろう。
掲出のことばは、小説『星』の中に佐藤春夫が記した一行。そのあと、さらにこんなふうにつづく。
「ただ人間の出来ることはその無限の徂来をつづける日と月との下で、それぞれに、さまざまな思いで、刻々に生きてゆくこと--乃至は刻々に死んで行くことだけである」
日はめぐり時だけは過ぎる。生きるのも、死ぬのも、なかなかにままならぬ。
春夫はのちに、末弟に捧げるこんな詩も紡いでいる。
「あはれ弟よ君をわが泣く/君情篤く才ありき/画を好み時にまた詩ありしを/志は夙(つと)に抛ち身を家に捧げ/(略)父祖伝来の業を継ぐと/医を学びて年ありしを/(略)君は若くして遂に身まかりぬ」
詩の題名は『マロニエ花咲きぬ』。末弟がウィーンに留学したときに持ち帰ったマロニエの実が、この頃、春夫の家の庭で立木となり花を咲かせていたという。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。