今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「思うさま我がままを仰って下さいまし、どんな難題でも御出し下さいまし、きっときっと御気に入りますように御奉公いたします」
--谷崎潤一郎
兵庫県芦屋市の谷崎潤一郎記念館で見たそれは、長襦袢と呼ぶには余りにも絢爛豪華な姿をしていた。衣紋に掛け直すと、その背に染め抜かれた雲上の雷神が、いまにも叫びを上げて動き出さんばかりの迫力が伝わってきた。
谷崎潤一郎は明治19年(1886)生まれ。後年、長く京都に暮らし、『細雪』などの代表作もあるため、ともすると関西人のように思われがちだが、東京・日本橋の商家の生まれである。東京帝国大学在学中、第2次『新思潮』の創刊に参加し、小説『刺青』を発表し鮮烈なデビューを果たした。その後、反自然主義の旗手として、耽美的な物語の数々を紡ぎ出す傍ら、日本の伝統文化や古典文学への回帰を示した。
そんな谷崎だから、もちろん、自らが着用する着物にも、雅びやかな趣味を貫いていた。その果てに、人目にはけっしてさらされることのない羽織の裏地や長襦袢にまで、凝りに凝ったのは、必然のなりゆきであっただろう。
ところが、聞けば、背に雷神が躍るこの羽二重地の長襦袢には、さらなる曰くがついていた。谷崎の3番目の妻となる松子夫人の父親から譲り受けたものであった、というのだ。ふうむ。なるほど。
谷崎の松子への思慕の度合いは並外れたものだった。掲出のことばがその証左。これはなんと、谷崎自身が結婚前の松子へ送った手紙の一節なのである。
思えば、谷崎は、『痴人の愛』や『鍵』といった作品の中に、倒錯したエロティシズムの世界を描き出した。『春琴抄』で奉公人の佐助が、お嬢さんである春琴の思いを汲んで、針で自らの目を突いて失明させ、互いに被虐的喜びを噛みしめる場面も忘れ難い。
「ほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外(ほか)の人に見られてもお前にだけは見られとうないそれをようこそ察してくれました。あ、あり難うござり升そのお言葉を伺いました嬉しさは両眼を失うたぐらいには換えられませぬ」
それもこれも、男と女のひとつの愛の形であろうか。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。