今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「翌(あす)からは禁酒の酒がこぼれる」
--荻原井泉水
先に紹介した俳人の尾崎放哉が、安息の地を求めて小豆島に向かう前、京都・東山の麓で、ささやかな送別の宴がはられた。俳句雑誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と、『層雲』同人で陶工の内島北朗が、放哉を送ってくれたのである。
大正14年(1925)8月のことであった。
3人は盃を酌み交わす。空気は自ずとしんみりするが、見送られる側の放哉は、むしろからりとした顔つきであった。やがて井泉水は乞われるままに白扇に一句をしたため、餞(はなむけ)とした。それが、上に掲げた一句である。
荻原井泉水は、明治17年(1884)生まれ。高浜虚子と並ぶ「正岡子規門下の双璧」といわれた河東碧梧桐とともに、自由律俳句運動を推し進めた人だ。
思えば、尾崎放哉は酒に傾斜し過ぎて失敗を繰り返してきたところがあった。保険会社の支配人という要職を馘首され、寺男として入ったその寺からも追われる羽目になったのも、直接的には酒が原因だった。
小豆島では、もう同じ轍は踏むまいぞ。明日からは禁酒。今夜だけは、別れの酒を酌み交わそう。井泉水はそんな意を込めて、餞の句を詠んだのだった。
翌日、放哉は小豆島へ渡った。土庄港にほど近い、西光寺奥の院南郷庵が落ち着き先。放哉は庵主としてここに暮らし、経を読み句作に励んだ。自身が望んだ独居無言の暮らしから、孤独に屹立した透明感のある秀句の数々を紡ぎ出していったのである。
一方で、井泉水の白扇は、作者の思いと裏腹に、しばしば放哉が戒めを破る言い訳のために使われた。明日からは禁酒する、今日は呑ませてくれ、というわけだった。これを繰り返していけば、永遠に禁酒の日はこない。
まったくもって、酒呑みというのは仕方のないものだと、自戒をもこめて、つくづく思うのである。
今夜の酒肴は何にしようか?
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。