今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命がけのことは始終あるもの」
--伊藤博文

伊藤博文は幕末の周防で生まれ、9歳の頃、萩の城下に出た。松下村塾でわずかながら吉田松陰の薫陶にふれ、高杉晋作のもとで倒幕運動に加わった。だが、明治維新という一大革命に当たって伊藤に配された役どころは端役に過ぎなかった。

高杉晋作が逝去し、坂本龍馬が斃れ、西郷隆盛や大久保利通が鬼籍入りする。こうした主役たちの退場によって、伊藤は歴史の舞台の中央に引き出されていく。

かつて吉田松陰が評価した伊藤の「周旋」能力の高さが、ここで開花する。藩閥官僚層の頂点に立って、困難な内外政局を処理していくのである。内閣制度を創設して初代首相となり、憲法発布にも指導的役割を果たした。天の配剤というべきか。

掲出のことばは、その伊藤博文が、海外留学へ赴く息子の文吉に向けて言い渡したもの。後続部分も含めて記し直すと、以下のようになる。

「いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命がけのことは始終あるもので、俺はいままで生きてきたのが自分でも不思議と思うくらいじゃ。おぬしも俺の志を継ごうというなら、この覚悟を持っておれ」

伊藤の胸中には、すでにして、死への予感があったのだろうか。ちなみに、文吉はのちに農商務省参事官、日本鉱業社長などをつとめている。

文吉を送り出してまもない明治42年(1909)10月26日、伊藤は旧満州(中国東北部)のハルビン駅のプラットホームで銃撃され落命した。その場所は、少し前に夏目漱石が『満韓ところどころ』の旅で訪ねたばかりの場所で、漱石は深い感慨を抱いた。

伊藤を銃撃した安重根は熱心な韓国独立運動家だったから、初代の韓国統監をつとめた伊藤は格好の標的だったのだろう。だが、伊藤個人はもともと韓国を併合しようなどと考えてはおらず、そうした行き過ぎには反対であった。

伊藤は、日露戦争終結後のロシアの反撃を警戒するあまり、ともすると満州において暴走気味の陸軍に対しても、こんな叱責のことばを投げかけていた。

「満州における日本の権利は、ポーツマス条約によってロシアから譲渡されたものだけなのである。満州経営というが、そのことばは戦争中から日本人の言い出したもので、官吏も商人も使うが、満州は決してわが国の属地ではない。純然たる清国領土なのである。そういうところに、わが主権の行なわれる道理はない」

韓国においても、保護はしても自治を認めて近代化を促進させる方が、韓国のためにも日本のためにもいいというのが、伊藤の基本的な考え方であった。しかし、不幸なことに、それを貫けないほどに周囲の併合政策への意欲が強大だった。結果、伊藤は反日感情の矢面に立たされ、命を落とした。

伊藤にとって、ときに盟友であり、ときに政敵ともなった大隈重信は、突然のこの訃報に接し、こう語った。

「どうせ仆(たお)るるものなら、畳の上で死ぬよりも、満州の野で刺客の手にせられたのは、かえって死に栄えがあったと思う」

明治とはまだ、そんな武張った時代であった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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