「強者の都合よきものが道徳の形にあらわれる」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば132】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「道徳は習慣だ。強者の都合よきものが道徳の形にあらわれる」
--夏目漱石

「道徳」ということをいわれて、普通、真っ向から否定することはしにくい。学校における道徳教育ということも、必要な面もあるのだろう。もっとも、教科書の記述を「パン屋」から「和菓子屋」に書き換えるよう指導するお役所のセンスは、どうかと思いますけどねぇ。

問題なのは、道徳教育に力を入れようとする延長線上なのか、教育勅語には、親を大切にとか夫婦仲よくといった「いいこと」も書いてあるのだから、否定すべきではないという声までが、政界や文部官僚の一部から出ているということ。アブナイ、アブナイ。剣呑な話だ。

教育勅語には戦前の軍国主義を支えた危うい一面があり、「主権在民」や「法の下の平等」を規定した現行憲法とも相容れないところがある。だからこそ、戦後、国会の衆参両院でも、「教育勅語等排除に関する決議」や「教育勅語等失効に関する決議」をおこなったのではなかったか。

さらに、根源から人間の生き方を問う文学的、思想的なテーマとして掘りさげれば、世間的な道徳は時として無省察な旧弊や固定観念とつながり、闘い、打ち破るべき壁として認識されさえする。

夏目漱石が明治34年(1901)に手帳に書き記した『断片』の中にある掲出のことばも、そうした危うさを抉(えぐ)っている。漱石はつづけてこうも指摘している。

「孝は親の権力の強きところ、忠は君の権力の強きところ、貞は男子の権力の強きところにあらわれる」

道徳は、ただの強者からの押しつけであってはならないのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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