今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「お花はいつも、きれいだ」
--牧野富太郎

『牧野日本植物図鑑』で知られる植物学者の牧野富太郎は、江戸末期の文久2年(1862)に高知で生まれた。寺子屋や土佐藩校を経て、発足したばかりの小学校へ通うが2年で中退。明治17年(1884)に上京し、帝国大学(現・東大)の植物学教室に出入りを許され、独学で黙々と研究を進めていった。組織とは相容れない個性と才能で、独自の道を歩みつづけたのである。

実家は高知に代々続く裕福な造り酒屋であったが、牧野は家業を継がなかったばかりか、そのすべての財産を植物学研究に費消してしまった。その結果、借金とりに追われ、家賃も滞りがち。挙げ句、家主から追い立てを食うと、13人の子供と大量の植物標本という「大家族」を抱え、妻とともに広くて家賃の安い家を血眼になって探さねばならない。なにせ自身で採集した植物標本をおさめるだけで8畳2間を要するのだから、容易なことではないのである。

牧野は静かだが強靱な、まるで植物の精のような生命力の持ち主だった。87歳の折には大腸カタルのためいったんは息を引き取った。ところが、口に含まされた末期の水で奇跡的に蘇生。94歳となった昭和24年(1949)7月にも、風邪から重体に陥りながら回復。同年暮れからは、ほとんど何も食べず、強心剤とブドウ糖注射で命脈をつなぎ年を越したのである。

この頃、長く病床に伏す牧野のため、月に2回、勅使河原流の弟子たちが交代で枕元の花を活けにきた。その花を見ると、牧野は満足げに、「お花はいつも、きれいだ」と呟く。だが、活け手が帰ると牧野はその活け花をむしりとって観察し、押し花にしてしまう。骨の髄からの植物学者なのである。牧野は語っている。

「植物の学問は口舌や文字の学問でなく、徹頭徹尾実地の学問である。実地につき、実物について研究するところに植物学研究の神髄が存在する」

そんな牧野だからこそ、日本にある植物のうち、千種の新種と千五百の新変種を発見し、名前をつけるという実績を積み上げ得た。

私は以前、東京・練馬区の邸宅跡に建てられた牧野記念庭園を取材で訪れ、生前の牧野が植物採集に使用した胴乱(どうらん)を見たことがある。黄緑色のブリキ製の特注品。エナメル仕上げの本体。革の把手。蓋を開けると、中には、牧野の長年の労苦を象徴するような泥のこびりつきまで生々しく残っていた。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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