今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗(やみ)に私を投げ入れて下さいまし」
--村山槐多

画家の村山槐多は、「ガランス」と呼ばれる茜色を愛した。自身の絵画作品に、ウルトラマリンブルー(深みのある青)とともによく用い、鮮烈な対比を醸し出した。中には、ほとんどガランス一色で描かれた自画像や裸婦像もある。それらは、どこか血の色のようでもあった。

村山槐多は詩人でもあった。『一本のガランス』と題するこんな詩も書いている。

《ためらふな、恥ぢるな/まつすぐにゆけ/汝のガランスのチユーブをとつて/汝のパレツトに直角に突き出し/まつすぐにしぼれ/そのガランスをまつすぐに塗れ/生(き)のみに活々(いきいき)と塗れ/一本のガランスをつくせよ》

激しい、直情径行のもの言い。絵にも詩にも、そして人生そのものに、槐多の情熱としての茜色が塗りたくられているようにも思える。

自画像に見られる如く、槐多の額の中央には縦に走る窪みがあった。自身、これを「鬼の線」と呼んでいた。美への飽くなき探求を意味する「鬼」であったろう。

村山槐多は明治29年(1896)横浜で生まれ、京都で育った。名づけ親は森鴎外。槐多の母は結婚前、鴎外の家で女中奉公をしていたのである。

絵を描きはじめたのは小学校3年生の頃。父から帳面と色鉛筆を与えられたのがきっかけだった。本格的に画家を志す契機は、中学2年の夏に訪れる。村山家を来訪した母方の従兄で画家の山本鼎が、槐多の画才に惚れ込んで油絵具一式を買い与え、大いに勉強するよう奨励したのだという。

槐多の耽美の感覚は、早くから研ぎ澄まされていた。高価な岩絵具を惜しげもなく川に流し、流れゆく赤や黄を陶然と眺めた。かと思うと、エドガー・アラン・ポーの倒錯的文学世界に心酔し、グロテスクな仮面をかぶってオカリナを吹きながら界隈を徘徊した。体の内には、表現意欲が満々と溢れ、絵を描くだけでは飽き足らず、友人らと同人回覧雑誌を制作し、詩歌や小説、戯曲も発表していく。

その後、槐多は18歳を目前に、親の反対を押し切って上京。第一流の画家たらんことを目指した。激し過ぎる熱情は、青春期の矛盾をはらみこみ、理性をも引き裂く。神への祈りと悪魔への憧憬が、胸の中で交錯。酒色に溺れる頽廃の一方で、謹慎し「神よ、わが道を明らかに啓示し給え」と祈りながら絵筆を握った。院展での入選や受賞という果実の傍らに、貧窮と彷徨、苦悩、失恋、そして大量の喀血を伴う病魔が寄り添っていた。

大正8年(1919)2月18日夜、槐多は数日前から流行性感冒で寝込んでいた病床を発作的に飛び出し、戸外で昏倒。結核性肺炎を呼び起こし2日後に死去した。享年22。

死の2週間ほど前の2月7日、槐多は遺書として掲出のようなことばを綴っていた。悲痛にして純な響き。「醜さから離してほしい」と祈念して逝くなんて、まるで美への焦がれ死に。これも、槐多の遺した「歌」なのか。胸を打たれる。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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