文/鈴木拓也

近代漫画界の揺籃期に刊行された『漫画 坊っちゃん』と『漫画 吾輩は猫である』が、このたび岩波書店から復刊された。これは、日本画家として知られる近藤浩一路(1884~1962)が、夏目漱石の没後から3~4年あと(1918~19)にかけて描いた作品で、元は新潮社から刊行されたもの。

体裁は、見開きの片面が、漱石の原作を大胆にリライト・縮約した文章で、その対向ページが一コマ漫画となっている。これが約200ページにわたり続く。

近藤の裁量で原文にはかなり手が加えられている。例えば『漫画 吾輩は猫である』の冒頭を比べてみると……。

【夏目漱石のオリジナル】

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。」(『吾輩は猫である』より)

【近藤浩一路のアレンジバージョン】

「吾輩は猫である。名前は無い。今最前、何かというと我々を煮て食うと豪語する、人間では一番猛悪な種族に属する書生の手からほうり出され、笹原の中へ棄てられたばかりのところである。話はこれから始まる。棄てられた吾輩は空腹でたまらないから、ノコノコ這い出して竹垣の崩れた穴からとある邸内へもぐり込み、台所から這い上って行くと、すぐそこでおさんという人間に見つかって、いきなり首筋をつままれ表へり出された。」(『漫画 吾輩は猫である』より)

……という感じで、かなり改変は加えられてはいるものの、ストーリーの全体的な筋道はオリジナルとほとんど同じ。これが書かれた大正期には、既に著作権法はあったが、おおらかな時代であった。

漱石ファンとしては、豪快な換骨奪胎ぶりが気になるかもしれないが、軽妙な筆致の漫画を眺めながら、原作のダイジェスト版を読むのもまた一興であり、当時の衣食住を含めた民俗的な事柄もビジュアルで学べて、お得な一冊といえる。

『漫画 坊っちゃん』より

『漫画 吾輩は猫である』より

 

当時の「漫画」は、現代人が考える「漫画・コミック」とは異なり、コマ割りや吹き出しはなく、挿し絵に近いものであった。漫画一本で食べてゆく専業漫画家が出始めたばかりの頃である。

26歳で東京美術学校を卒業し、30歳で結婚した近藤も、まずは生活が保障される読売新聞社に入社し、新聞記事に挟まれる漫画・イラストを描く日々を送った。

その後、時事新報社に移り、ほどなくして漱石原作を含む何冊かの単著を世に出した。『漫画 坊っちゃん』と『漫画 吾輩は猫である』は、近藤が日本画家へ転身する前の、漫画家としてもっとも脂の乗った時期に著されたもので、21世紀に入っての復刊は、知られざる大正期の漫画事情を知るうえでも意義は大きい。

ちなみに近藤は、時事新報社時代は菊池寛と同僚であり、また芥川龍之介や俳人の久保田万太郎とも交流があるなど、文士との接点の多い人物であった。今では、どちらかといえば知る人ぞ知る的な日本画家だが、青年期の彼の業績・知友を掘り起こすと、まったく異なる一面が垣間見え、興味はつきない。

今回紹介した2冊を読みながら、漱石の名作を改めて味わってみてはいかがだろう。

【今日の一冊】
『漫画 坊っちゃん』
(近藤浩一路著、岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/book/b279041.html

【今日のもう一冊】
『漫画 吾輩は猫である』
(近藤浩一路著、岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/book/b280255.html

文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。

 

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