今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「くじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ。よしんば、中道にして倒れたところで、いいではないか」
--尾崎士郎
ベストセラー『人生劇場』で知られる作家の尾崎士郎は、明治31年(1898)愛知・横須賀村に生まれた。
大の相撲好き。大森・馬込に文士仲間と集っていた若き日には、山本周五郎、今井達夫らを率いて大森相撲協会を組織。自らマワシをしめ、「夕凪」という四股名(しこな)で本気で相撲に明け暮れていた。「何にしてくれたら嬉しいって、文句なく横綱だ」と、少年のように目を輝かせて言っていた。そんな思いが後年、別の形で結実した。日本相撲協会の横綱審議委員となったのである。
長男を「俵士」と名づけたのも、大好きな相撲にひっかけて「土俵の士」の意味を込めつつ、代表作『人生劇場』の主人公・青成飄吉に音を重ねたものだったと思われる。
文士としての強烈な自負と気概にもあふれていた。「文士はかすみを食って生きるべし」が口癖。『人生劇場』の作中を駆け抜ける人間たちにも、そんな作者の熱い精神が吹き込まれていた。
掲出のことばは、そんな尾崎士郎が長男のために書き残した随筆文『俵士よ』の中の一節。「死生、命ありだ。くよくよすることは一つもない」とも綴っている。
尾崎士郎が長男に贈ったこのことばには、強い愛情と励ましが満ちている。それはそのまま、人生の後輩としての私たちへのエールともなろう。
大田区・山王の尾崎家に、かつて尾崎俵士さんを訪ねたことを思い出す。私はそこで俵士さんに、尾崎士郎の遺品の、前の歯が極端に高い(後ろの歯との高低差約5センチ)下駄を見せてもらった。尾崎士郎は還暦の頃、それを履いて下半身を鍛えていたという。
俵士さんはその下駄を前に、こんなふうに呟いた。
「強くなりたいという子どもっぽい憧れ、それ以上に、尽きることない青春への渇望があったんでしょうね」
そのことばには、亡き父への敬慕がにじみ出ていた。
今日から、大相撲3月場所が始まる。場所前にちょっと怪我があったが、新横綱・稀勢の里はどんな相撲を見せてくれるか、楽しみだ。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。