今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「広ク誰トデモ交際スルト云ウ人デナカッタガ、親切デ友情ニ厚イ人デアッタ」
--横地石太郎
昨秋、金沢を旅した折、偶然、「金沢ふるさと偉人館」で横地石太郎の企画展が開催されていることを知り、足を運んだ。そこには、かねてからその存在だけは知っていた『鶉籠(うずらかご)』の書入本も展示されていて、思わぬ収穫を得られた。
『鶉籠』は夏目漱石の初期の創作集(単行本)で、『草枕』『二百十日』『坊っちゃん』の3作品がおさめられている。
横地石太郎は、漱石が愛媛県尋常中学校(松山中学)に勤務していたときの同僚。教頭をつとめていたために、のちに『坊っちゃん』が書かれたとき、物語中に登場する「赤シャツ」はこの人がモデルではないかとも噂された。横地はこれに戸惑い、閉口し、『鶉籠』に収録された『坊っちゃん』の余白に、当時の思い出や事実関係を書き込んだ。こうして出来上がったのが『鶉籠』の書入本なのである。
横地の当時のアダ名は「天神さん」。また、理学部出身の理学博士であり、文学士と設定された「赤シャツ」のモデルではない。漱石もかつて親しく交流し互いの家を訪問するなどしていた横地の迷惑を慮ったのか、講演録『私の個人主義』の中でこんなふうに語っている。
「『坊ちゃん』の中に赤シャツという渾名を有っている人があるが、あれは一体誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし『坊ちゃん』の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツは即ちこういう私の事にならなければならんので、--甚だ有難い仕合せと申上げたいような訳になります」
掲出のことばは、横地がこの書入本に綴った漱石の人物像の一端。「奇妙ナコトニハ小キ娘子ト質朴ナ婆サントガ大好キデアッタ」とも書かれ、なるほどなあと思わせられる。
実際、友達が多いのはいいことなのだろうが、その質のほうが大切なのではないか、と改めて思う。人数は限られても、篤い信頼で結ばれれば、人生の意義までも深まる。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。