今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「あーまたこの二月の月がきた ほんとうにこの二月とゆ月かいやな月 こいをいパいになきたい」
--小林セキ

小林セキは、『蟹工船』『不在地主』などで知られるプロレタリア作家・小林多喜二の母親。明治6年(1873)の生まれで、30歳の折に次男の多喜二を出産した。多喜二と夏目漱石の三女・栄子とは、同い年ということになる。

多喜二が生まれたとき、家は秋田で農業を営んでいたが、やがて小樽に移り住んでパン屋をはじめた。

セキが読み書きを学んだのは、息子・多喜二が獄中にあるときだった。思想弾圧の嵐が吹き荒れた昭和初め、非合法下の共産党員でもあった多喜二は繰り返し検挙され、ついには築地警察署内での凄惨な拷問の果てに死亡した。昭和8年(1933)2月20日のことだった。変わり果てた息子の遺体を抱きかかえて、セキは「ああ痛ましや、痛ましや」と涙に沈んだ。

その後のセキは、毎年2月20日の息子の命日には、田舎から上京して集まる友人たちをもてなし、ともにその死を悼んだ。

セキが昭和36年(1961)に亡くなった後、多喜二の姉がその遺品を整理していて、セキがたどたどしい字で記した紙片を見つけた。今回のことばは、そこに書かれたもので、あとには、こんな文字がつづいていた。

「どこいいてもなかれない あーてもラチオてしこすたしかる あーなみたかてる めかねかくもる」

全体を改めて整理すれば、こうなる。

「ああ、またこの二月の月が来た。ほんとうに、この二月という月が嫌な月。声をいっぱいに泣きたい。どこへ行っても泣かれない。

ああ、でもラジオで少し助かる。ああ、涙が出る。眼鏡がくもる」

そこに書かれていたのは、誰にも明かせなかった母の真情だった。過ぐる日、小樽文学館で対面した、小林多喜二の苦悶と崇高を宿すデスマスクを思い出す。

今夜は久しぶりに、しみじみとラジオでも聞こうか。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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