パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらが実践した、物の形を三角形や丸など幾何学的な図形に置き換えて描く「キュビスム」。この美術運動が日本でどのように展開したのかを辿る画期的な展覧会が、埼玉県立近代美術館で開催中です。
最初にキュビスムが日本でブームになったのは、本家欧州のキュビスムの流行と同時代、1910年代から20年代にかけてです。1911年、パリのアンデパンダン展の一室をキュビスムの作品が埋め尽くし、人々に衝撃を与えました。
その展覧会の様子を、版画家の石井柏亭が『東京朝日新聞』に寄稿したのが、日本でキュビスムが紹介された最初です(展覧会図録より)。
やがて、ヨーロッパに滞在していた日本人によって伝えられた情報をもとに、萬鐵五郎や東郷青児などの作家が、キュビスム的な作品を発表し始め、1920年代には直接フランスでキュビストに師事する者も登場します。
しかし、実験的に試されただけで、キュビスムが継続されることはなく、このブームは終息していきました。普通でしたら、ここで展覧会が終わるはずなのですが、じつはキュビスムには二度目のブームが来ます。それが、1950年代です。
きっかけは、1951年に東京と大阪を巡回したピカソの展覧会でした。ピカソの画風は衝撃を与え、とくに戦争の惨禍を描いた「ゲルニカ」風のキュビスムが日本の画壇に広まります。
山本敬輔「ヒロシマ」や鶴岡政男の「夜の群像」など、誰もが「ゲルニカ」を想起せざるを得ないような作品や、自分なりにピカソの画風を超えようとした岡本太郎の「まひるの顔」なども展示されます。
展示を見ていると、二度のブームで共通する作家が少ないことに気づきます。埼玉県立近代美術館・学芸員の五味良子さんに伺いました。
「戦前にキュビスムを受容した作家たちは、キュビスムを消化した後は別のスタイルに挑戦したり、演劇や社会運動など別の活動に身をゆだねることも多く、戦後のピカソ受容の時期においてもキュビスムそのものに立ち戻ることは、基本的にはありませんでした。ピカソを新たなインパクトとして受け止めるためには、戦前の状況からは一度切り離されている必要があります。
戦後のピカソの制作については、戦前に比べて力が衰えた、革新性はもはやないと見る向きもあり、特に戦前からのピカソのあゆみを知る世代にとっては、第二の衝撃とはなりにくかったのでしょう。一方で戦後の作家たちは、戦争体験を経て現実を前衛的な手法で表現しようとする際に、ピカソを大いに参照しました」
キュビスムは、フォーヴィスム、表現主義、未来派など、他の20世紀の美術運動と列挙されることが多く、それのみを検証した展覧会は初めての試みです。この展覧会は、鳥取県立博物館、埼玉県立近代美術館、高知県立美術館の3館が合同で開催するもので、3年がかりで、15回も会議を重ね、実現にこぎつけました。
「今回出品する作品を選ぶ中で、どこまでを“キュビスム”の作品とみなすかは、最後まで悩みの種でした。日本ではキュビスムは他の様式と一体となって生まれたため、戦前でいえば未来派や表現主義や構成主義、戦後ではルポルタージュ絵画など、通常は違う文脈で紹介される作品が多数含まれています。“果たしてこれはキュビスムと言えるのだろうか…”と各館の担当者の間でも、意見が割れる場面が少なからずありました。
また限られた展示スペースの中で、よく知られたいわゆる名品を取るか、はたまたあまり知られていない作品を発掘するかも問題でした。他の展覧会と出品予定が重なって借用が叶わなかったり、長距離の輸送ができなかったりと、必ずしも当初のドリームプラン通りのラインナップではありませんが、最終的には、日本でのキュビスムの展開を語る上で核となる作品が集まりました」(五味さん)
今まで誰も発表していないことを、展覧会としてまとめる苦労が伺えます。有名作家の個展、有名な美術館の所蔵品を見せる名品主義の展覧会ではなく、地道な研究の成果をまとめた、じつに内容の濃い展覧会です。
【日本におけるキュビスム−ピカソ・インパクト】
■会期/2016年11月23日(水)~2017年1月29日(日)
■会場/埼玉県立近代美術館
■住所/埼玉県さいたま市浦和区常盤9-30-1
■電話番号/048・824・0111
■料金/一般1100(880)円 大高生880(710)円
※( )内は団体20名以上の料金。
※中学生以下、障害者手帳をご提示の方 (付き添いの方1名を含む) は無料です。
■開館時間/10時~17時30分(入場は17時まで)
■休館日/月曜日 (1月9日は開館) および年末年始 (12月26日〜1月3日)
■アクセス/交通案内
JR京浜東北線北浦和駅西口より徒歩3分(北浦和公園内)
国際興業バス、西武バスとも北浦和駅西口前下車徒歩3分
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=335
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』