今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「とりわきていふべきふしはあらねども ただおもしろくけふもくらしつ」
--徳川慶喜
英邁で知られた将軍・徳川慶喜が大政奉還を実行し、世間をあっと驚かせたのは慶応3年(1867)10月14日。背景には、その後の諸侯会議で自ら首座を占めることへの自信と読みがあったはずだが、時勢はそんな思惑を突き抜け、明治維新が成る。神君と讃えられた徳川家康以来、15代265 年間続いた江戸幕府が、とうとうついえたのだ。夏目漱石が生まれたのは、この大政奉還の9か月ほど前、慶応3年1月5日であった。
維新後、まだ30そこそこの男盛りで人生の表舞台を降りた徳川慶喜は、一見悠々として多彩な趣味道楽に生きた。武家のたしなみとして身につけた弓、能、囲碁、書、和歌などはもちろん、新し物好きの性格を大いに発揮して、投網、狩猟、刺繍、さらには先端の西洋趣味であるカメラや油絵、サイクリングにも取り組む。そのいずれもが素人の域を超えていたという。
ライバルだった西郷隆盛や大久保利通が劇的な死を遂げたあとも、こうした日々を重ね、大正2年(1913)11月22日、76歳で身罷る。
晩年の心境を詠んだ掲出の三十一(みそひと)文字には、見ようによっては、諦観を脱して人生を享受する自然体の悟りの境地のようなものも感じられる。けれども、《この世をばしばしの夢と聞きたれど おもへば長き月日なりけり》《世のことを何かなげかむとる筆も心のままにまかせざりけり》といった他の自作の和歌と重ね合わせるとき、若くしてある種の世捨て人にならざるを得なかった才人の、孤独な影のほうが色濃くにじんでくる。
人は時代の中でしか生きられない--そんな意味のことを語っていたのは、フランスの哲学者サルトルだったろうか。ふと、そんなことをも想起する。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。