長谷川平蔵と松平康福

A:さて、初期のころから登場している長谷川平蔵宣以(演・中村隼人)が「先手弓頭(さきてゆみがしら)」に出世して久々の登場と相成りました。「先手弓頭」といえば、若年寄配下で、江戸の治安を守る重要な役回り。「先手弓頭」と「先手鉄砲頭」があり、それぞれ配下に与力、同心を抱えます。現在でいえば、警視庁幹部といった役職でしょうか。『鬼平犯科帳』で有名な「火付盗賊改方」は、先手頭の加役(兼任)で、その役職につくのは、もう少し先になります。
I:『べらぼう』で、「火付盗賊改」の長谷川平蔵が見られるのでしょうか。
A:さあ、どうなんでしょう。彼が「火付盗賊改」になるのは、松平定信の治世になってから。蔦重(演・横浜流星)とは「反目(はんめ)」といえば「反目」の立場になりますからね。蔦重と対立する立場になったりしないか気になりますね。
I:田沼意次と同じく老中の地位を占める松平康福(演・相島一之)は、初期のころから田沼派の幕閣として登場していました。劇中ではあまり説明されませんでしたが、康福の娘が、田沼意知の正室なんですよね。
A:もともと今川氏に仕えていた松井忠次という武将が縁あって家康に従うようになり、松平の名乗りを許されたのが松平康福の家系です。劇中では、意次に引導を渡すような役回りをしていますが、田沼派から離脱したわけではありません。政権交代の後も最後まで松平定信派に抵抗したと伝えられています。康福の子孫には、幕末に「文久の遣欧使節副使」として欧州にわたり、ロンドン万博の視察などもした松平康直(康英)が出ます。
I:劇中では、意次が手配した医師に抜かりがあって、意次が毒殺に関与したのではないかという噂が流れたということが描かれました。こうした噂も実際に流れたようですが、前述のように「家治が後ろ盾」というのが、意次の権力基盤なわけですから、意次が家治の死に関与するなどありえないですよね。私は、これも一橋一派によるネガティブキャンペーンだと思って見ていました。
A:今後、政権交代があるわけですが、松平定信らは、徹頭徹尾「田沼=悪」というネガティブキャンペーンを展開します。なぜ、ここまでの仕打ちをされなければならないのかと思うほどです。時の権力者によって展開された「反田沼キャンペーン」は絶大で、田沼意次が完全に復権するのはなんと令和になってから。遠州相良藩の城跡に立つ銅像は令和3年の建立です。何度も繰り返しますが、最大の権力基盤を失った「将軍家治死後の意次」がどのように描かれるのか。64年に渡る大河ドラマ史上に刻まれる内容になるのか、ならないのか。見逃せない重要な局面にさしかかっていることを強調しておきたいと思います。
I:それはまた、蔦重たちの身にふりかかる災難にも直結しますね。赤本、青本、狂歌に黄表紙。自由奔放に創作できたいい時代に蔦重は飛躍したわけです。その自由な時代の流れに、太くてどす黒い釘が打たれる。その事態に蔦重らがどう対処するのか。ちょっとドキドキしてきますね。

新之助と福に仮託された市井の人々の苦難

I:さて、劇中では、元吉原の女郎で新之助(演・井之脇海)と足抜けした福(女郎名はうつせみ/演・小野花梨)が、浅間山噴火以来続いている庶民の生活苦を象徴する存在として描かれています。
A:吉原目線でいうと、足抜けは「大罪」。その行方は厳しく詮索されたはずです。劇中では触れられていませんが、親兄弟も詮議の対象になっていたと思われます。ふたりは江戸を逃れて、おそらく関東で農業に従事していたと思われますが、浅間山噴火以降の混乱の中でやむなく江戸に戻ることになってしまいました。
I:そんな中でもふたりの間に「とよ坊」という一粒種が誕生しました。浅間山噴火後の苦難を乗り越えようとする中で、希望の光だったと思います。「よかったね」と感じた視聴者も多かったのではないでしょうか。私もちょっと感動したんですが……。
A:蔦重もまた、吉原の目をかいくぐってささやかに支援をしていたわけです。こうした行為が露見したらさすがの蔦重とて、ただですんだとは思えませんので、それだけ、新之助と蔦重の絆は深かったということでしょう。そうした中で、福が流民の子に乳をわけていた行為、さらには蔦重がよかれと思って融通したお米の存在が仇になってしまいます。
I:え、こういう展開ありなんですか? 正直、そんなふうに思ってしまいました。希望の光「とよ坊」まで亡き者にしちゃいます? って。
A:このころ、北日本各藩では多くの餓死者を出すほどの凶作でした。やむを得ず人肉を食して飢えを凌いだ人々が数多くいたことも伝えられています。江戸ではそこまでの惨状には至りませんでしたが、それでも多くの人が生きていくだけでも大変だったということが、新之助、福の家族に仮託して描かれたというわけですね。
I:なんだか、「とよ坊」が不憫で、涙がとまりません。せめて「とよ坊」だけは生かしてほしかった。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ~べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。同書には、『娼妃地理記』、「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらいいのね)」も掲載。「とんだ茶釜」「大木の切り口太いの根」「鯛の味噌吸」のキャラクターも掲載。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり
