
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第21回では、『赤蝦夷風説考』なる書物が話題になりました。
編集者A(以下A):『赤蝦夷風説考』は仙台藩江戸詰め藩医である工藤平助の著書で、赤蝦夷=帝政ロシアの動向をまとめたものです。「仙台藩」というのがポイントです。『べらぼう』第15回で、平賀源内(演・安田顕)が田沼意次(演・渡辺謙)に「蝦夷に興味はないか」と持ち掛けた場面がありましたが、その場面での当欄の解説を再掲します。
A:この頃、日本周辺の海域への外国船の出現は珍しくありませんでした。長崎県立大学の松尾晋一教授が准教授時代に著した『江戸幕府と国防』(講談社選書メチエ)の受け売りですが、『べらぼう』劇中の40年ほど前、将軍徳川吉宗の時分の元文4年(1739)にはロシア探検隊の4艘の船が日本近海にやってきて、うち3艘が仙台湾に入ってきたそうです(ほかの1艘は房総沖)。対処したのが仙台藩になります。(https://serai.jp/hobby/1225431/2)
I:つまり仙台藩は、帝政ロシアの接近を身をもって体験していたわけですね。
A:そうです。そして、教科書などにも載っているレザノフ、ラクスマンの来航はもう少し後になります。この頃は、帝政ロシアの動きが活発でした。
I:アメリカは独立したばかりですし、イギリスがフェートン号の船尾にオランダ国旗を掲げて長崎港に入港してきた「フェートン号事件」は『べらぼう』劇中の16年ほど後になるんですよね。そういう状況下に江戸城で帝政ロシアとの交渉をするのか、しないのか、蝦夷を天領にするのかしないのかという議論が交わされているということです。
A:ちなみにこのころの帝政ロシアの皇帝はエカチェリーナ2世。夫であるピョートル3世を退位させて即位した女帝の時代です。オスマン帝国との戦争で現在のウクライナまで版図を広げるなど、対外進出に熱心でした。彼女の時代が帝政ロシアの全盛期という向きもあります。
I:明治に入って来日した際に、大津で襲撃(大津事件)されたニコライ皇太子(後のニコライ2世)はエカチェリーナ2世の来孫(孫のひ孫)になるんですよね。
A:ということで、ロシアの動向に対峙するため、鉱山などの開発のためなどを考慮して、蝦夷の天領化が議論されるわけです。松前藩は石高にすれば3万石の小藩で、その領土は、津軽海峡に面した道南南端部。道東の根室までは、直線距離で500キロ弱、同じく道北の稚内までは直線距離で約480キロ。江戸から京までの距離が約490キロですから、その巨大さがわかります。
I:それだけ広ければ、松前藩だけで統治するのは不可能ですね。この蝦夷問題。いったいどういう展開になるのでしょうか。
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