「パソコン」って、英語では何と言うのでしょうか?
「それは “パーソナルコンピューター”の略じゃないの?」と思われるかもしれません。でも実は、この言葉、英語圏では一般的には使われていない表現なのです。この記事では、パソコンやスマートフォンを使うときに、英語でよく耳にする表現を、いくつかご紹介したいと思います。

目次
「パソコン」の英語表現は?
“computer”はどこからきた?
パソコンまわりの日常表現
最後に
「パソコン」 の英語表現は?
「パソコン」の英語表現は……
“laptop”です。
もともと、「膝の上で使える小さなコンピューター」という意味で名付けられました。机の上で使う「デスクトップ(desktop)」と対になる表現ですが、最近では場所に関係なく、持ち運びできるコンピューターは総じて “laptop” と呼ばれるのが一般的です。
一方、「パソコン」は、英語の「パーソナルコンピューター」を縮めた和製英語です。けれども、実際の英語では “personal computer” という表現はあまり日常的ではなく、多くの人はシンプルに “computer” や “PC” と呼んでいます。
“computer”はどこからきた?
“computer”という言葉は、ラテン語“computare”に由来します。
“com”は「一緒に」、そして“putare”は、もともと「木の枝を刈る、剪定する」という意味を持っていました。木を整える作業には注意深い判断が求められることから、やがて“putare”は「考える、判断する」という意味になり、そこから派生して“computare(計算する)”という言葉が生まれました。

この“computer”は、その後1600年代に、「計算する人」という意味となり、数学者や計算業務を担う専門職の人たちの呼び名となりました。1800年代になると、特に科学分野や戦時下の軍事計画において、大量の計算を正確に行う必要が生まれ、多くの人が「コンピューター(計算者)」の仕事に就きました。
60年代、NASAの研究所を舞台にしたアメリカ映画、『Hidden Figures(邦題:ドリーム)』に登場するアフリカ系アメリカ人の女性たちのように、「計算する人」としての数学者は、宇宙開発やロケットの軌道計算にも欠かせない存在でした。彼らは、現在の「コンピューター」のルーツとなりました。
「人間が計算する」時代は、やがて20世紀半ばになると終わりを迎えます。技術の進歩によって、計算の仕事は人から機械へと移り、“computer” は、次第に今のような「機械としてのコンピューター」を意味する言葉へと変わっていきました。
パソコンまわりの日常表現
パソコンを使うときに英語でよく使われる日常表現はたくさんあります。今回はその中から、覚えておくと便利な3つのフレーズをご紹介します。
1. My PC is frozen.
(パソコンが固まった。)
“frozen” は “freeze(凍る)” の過去分詞形で、「凍りついた」という意味になります。ここから、“My PC is frozen.” は、「パソコンが固まった(フリーズした)」という状態を表します。
さらに、システムのエラーなどでパソコンが完全に動かなくなった時には、
My computer has crashed.
(パソコンがクラッシュしてしまった。)
といった表現も使われます。
2. scroll up/ scroll down
パソコンやスマートフォンの画面を操作するとき、よく出てくるのが “scroll” という動詞です。下にスクロールすることは scroll down、上に戻す場合は scroll up と言います。
If you scroll down, you’ll see the link.
(下にスクロールするとリンクが見えますよ。)

3. pinch in / pinch out
スマートフォンやタブレットの画面で、2本の指を使って操作するジェスチャーをさします。画面をつまむように指を近づけて縮小する操作を pinch in、逆に指を開いて拡大する操作を pinch out と言います。どちらも “pinch”(つまむ)という動詞から来ています。
ぜひ、日々の生活の中で使ってみてくださいね。
最後に
今日、私たちは家事をロボットに託し、オンライン会議で世界中とつながり、絵画や音楽さえもAIが手がける時代を生きています。技術の進化は、「コンピューター」という言葉が生まれた頃には想像もできなかった速さで、日々進化を続けています。
2025年、私たちは大阪・関西万博の年を迎えています。今から55年前、日本で初めて開催された1970年の万国博覧会では、芸術家・岡本太郎がその象徴として『太陽の塔』をデザインしました。そのさらに前に、彼が描いた代表作に『重工業』(1949年)があります。
巨大な歯車に翻弄される人々、そしてその傍らに描かれた、生命感あふれるネギ。機械的で無機質な世界と、有機的でしなやかな生命がひとつの画面に共存するこの作品は、高度成長期の社会や機械文明への批判が込められているといわれます。
いま改めてこの絵を見ると、歯車や機械のイメージが、AIやスマートフォン、膨大な情報の波に翻弄される現代の私たちの姿と重なるように見えます。どれほど技術が進歩しても、果てしない欲望に駆られる人間の本質は、簡単には変わらないのかもしれません。
けれどその一方で、どんな時代であっても、人間には他者とつながりながら、しなやかに、そして力強く生き抜いていく力がある。岡本太郎の作品からは、そんな人間の「生きること」への挑戦が、熱を持って伝わってくるようです。 新しい技術との向き合い方は、私たち一人一人の新たな挑戦なのかもしれません。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
