実資と道長の政治問答
I:藤原実資が枇杷殿の道長執務室を訪ねてきて「帝にご譲位を迫っておられるそうですな」と切り込みました。
A:同時代に生きたふたりの貴族の問答は興味深いですね。「幼い東宮を即位させ、政を思うがままになされようとしておることは誰の目にも明らか」「左大臣の思う政とはなんでありますか」と矢継ぎ早に問いただします。
I:誰もが思っていたことを直接問いただしたという印象です。それができるのは実資だけだったということでしょうか。
A:もちろんそうなのですが、道長ほど権力を握っていれば、実資を公卿の座から引きずり下ろそうと思えばできたと思うんですよね。それをしないということは、目の上のたんこぶ的な存在であっても、その才能には敬意を表していたともとれます。
I:道長にとっては、いうべきことはしっかりいう実資をリスペクトしていた感じもしますし、実資にしても日記にはブツブツと批判めいたことを書いていますが、実資もまた道長のことを理解していたのではないでしょうか。
あの道兼の息子が名前だけ登場
I:さて、三条天皇の周辺ですが、第一皇子の敦明親王(演・阿佐辰美)が父帝に「私の友兼綱を蔵人頭にしてくださいませ」と難題を持ち込んできます。この兼綱という人物は、道長の同母兄でまひろの母ちやは(演・国仲涼子)を殺害した道兼(演・玉置玲央)の息子ということでした。
A:道兼の息子がここにきて登場するとは驚きですね。道兼は関白在任10日あまりで疫病で亡くなった悲劇の人ですが、娘の尊子が道兼の死後に一条天皇の女御として入内しています。一条天皇崩御後は、三条天皇の蔵人頭を務めていた藤原通任(演・古舘佑太郎/三条天皇皇后藤原娍子の弟)に嫁いだそうです。
I:さりげなくですが、道兼の息子の消息に触れてくるとは感慨深いですね。道兼の子どもたちも「父が存命ならば」と何度もほぞをかんだことでしょう。
A:そういえば、道兼は疫病で亡くなりますが、ほぼ同時期に同じく疫病で亡くなったのが三条天皇の皇后になった藤原娍子の父済時ですね。あれから20年近く経過して、それぞれの人間模様が浮き彫りになってきました。
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