一条天皇を演じた塩野瑛久さんの思い
A:一条天皇の辞世は、誰に宛てたものなのか――。これに対して、一条天皇を演じた塩野瑛久さんが思いを語っています(『光る君へ』公式ホームページの「きみかたり」より)。
最期の歌を詠むシーンも含めて、史実の一条天皇がどちら(皇后定子か中宮彰子か)に歌を詠んだかということも含めて、今回の『光る君へ』でも、そこは見てくださっている方の判断だったりとか、そういったものに委ねようかなと思っていて。だから僕が彰子のことをどう思っていたかっていうのも、僕なりの正解はちゃんとあったりとかしたつもりなので、それを映像で見て、皆さんが感じていただけたらいいなと思ってはいます。
I:塩野さんは、私たち視聴者に委ねてくれました。皇后定子に思いを寄せ続けているのか、中宮彰子への思いなのか――。私は、皇后定子への忘れがたい思いを詠んだものだと解釈します。
A:『枕草子』では皇后定子との関係の中で登場し、『紫式部日記』では、中宮彰子との関係の中で登場します。歴代の中でもエピソードが数多く伝えられる天皇ということで歴史に刻まれた帝ということになります。『光る君へ』劇中では、塩野瑛久さんがハマり役といえる演技を見せてくれました。『光る君へ』を楽しみにしていた子どもたちにとっては「永遠の一条天皇」になったかと思います。出家前後の塩野さんの演技は圧巻でした。
I:今週は、「きみかたり」だけではなく塩野さんからコメントが寄せられています。まずは、撮影現場での印象的な思い出やエピソード についてです。
自分の笛の音を劇中で使っていただけた時、芸能考証・指導の友吉鶴心さん、雅楽指導の稲葉明徳さんがとても喜んでくださった時はすごく嬉しかったです。とても丁寧に優しく教えてくださったおかげだと思っています。そして彰子に会いに藤壺に渡る一条天皇のシーンで雪の演出を加えてくださった中泉監督のおかげで定子に対する想いに、より解像度が上がり印象的なシーンになったことも思い出深いです。
A:ああ、あの笛の音は塩野さんご本人が実際に奏でていたものなのですね。なんかいい話ですね。こういう話をもっともっと発信してほしいですね。塩野さんの話はさらに続きます。
同じ役を長い期間かけて演じられる作品というのはそう多いものではありません。その中でも天皇という立場に身を置く人物の半生を生きられたことは、僕の俳優人生においても深く心に刻まれたものとなりました。「続けてきてよかった」と、今まで積み上げてきたものを肯定してあげられる機会になりました。
I:俳優人生の中で心に刻まれる仕事は、私たち視聴者の心にも深く刻まれることになりました。高貴な雰囲気、憂いのある表情、そして第40回の見せた達観した姿。大河史でも特筆すべき天皇像を演じてくれました。塩野さんは最後に視聴者へのメッセージも送ってくれました。
『光る君へ』で一条天皇という役を演じられたこと、とても幸せに思います。皆様からのたくさんの愛も受け取っています。この作品を通して塩野瑛久を知ってくれた方も多く、感想や反響などをいただく度にとても心強い活力となり、無事に役を全うできました。どうかこの作品が、一条天皇にとっての『枕草子』や『源氏物語』のような、皆様にとって心に深く刻まれる物語でありますように 。
A:塩野さんには、また大河ドラマに戻ってきてほしいですね。個人的には、有馬皇子、長屋王、中大兄皇子などに挑戦してほしいのですが……。
I:みんな古代じゃないですか! さて、私は一条天皇崩御の場面に触れて、一条天皇の御陵はどちらにあるのだろうと気になっています。
A:一条天皇の御陵は、京都市右京区の円融寺北陵(きたのみささぎ)で龍安寺の中にあります。
I:龍安寺にはお参りしたことがありますが、一条天皇陵に参ったことはありませんでした。その御陵の前に立った時、どんな思いに襲われるでしょうか。
一条から九条まで
A:さて、一条天皇が譲位して居貞親王(演・木村達成)が即位しますが、この天皇は三条天皇になります。
I:一条天皇の「一条」は里内裏の「一条院」からの追号になりますから、ほかもだいたい同様かと思われます。四条天皇と六条天皇は極端な幼帝として知られています。
●一条天皇 第66代/『光る君へ』第40回で崩御
●二条天皇 第78代/父は後白河天皇
●三条天皇 第67代/『光る君へ』第40回で即位
●四条天皇 第87代/2歳で即位。転倒事故で12歳で崩御
●五条后 第54代仁明天皇の女御藤原順子
●六条天皇 第79代/父は二条天皇。生後7か月(数えで2歳)で即位
●七条院 第82代後鳥羽天皇の母(女院号)/藤原殖子
●八条院 第74代鳥羽天皇皇女(女院号)/暲子内親王
●九条廃帝 承久の乱で廃位。明治になって第85代仲恭天皇になる
A:奥州、現在の青森県と岩手県に一戸から九戸という地名がありますが(一戸、二戸、九戸が岩手県)、こちらの由来は諸説あるようです。現在四戸だけ消滅していますが、「四戸姓」は残っていますね。
I:地名や苗字に数字があると、調べたくなりますよね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり