ライターI(以下I):『光る君へ』第33回では、内裏での除目シーンが登場して、伊勢守に平維衡(たいらのこれひら)を任じるなどもってのほか、という議論が交わされました。一族の平致頼(たいらのむねより)と幾度も合戦に及んでいるような人物を国司にしてはいけないという議論です。
編集者A(以下A):平維衡と平致頼という「桓武平氏」の同族争いは『今昔物語』にも記されている当時のトピックス。平維衡は1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』で山口崇さんが演じた平貞盛の息子で、後に平氏政権を樹立する平清盛の直系先祖。名前だけですけどさりげなく登場しました。かつて花山天皇(演・本郷奏多)が退位することになった寛和の変を描いた第10回では、藤原道兼(演・玉置玲央)が天皇を唆して出家させました。その際に、護衛の武者がちらっと映っていましたが、あの武者は源頼朝の先祖にあたる源満仲だと思われます。源頼朝や平清盛の先祖が名前だけ、あるいはちらっとだけの登場ということは、『光る君へ』では、武士をキャスティングしないという方針なのでしょう。
I:まだ「武者の世」ではないということを強調したいのだと感じました。そうしたことを踏まえて、一条天皇(演・塩野瑛久)と道長(演・柄本佑)のやり取りを振り返りましょう。
「まだ武者の世」ではない時代
I:一条天皇に謁見した道長は、「お上に初めて申し上げます」と断った上で、寺や神社までもが、武力で物事を解決しようとしていることを嘆き、国司が武力を蓄えるようになれば、朝廷がないがしろにされる事態になりかねない、と訴えます。道長の言に驚く一条天皇に対して、「そうなれば血で血を洗う世となりましょう」と言を重ねます。この場面を見て、『光る君へ』で武士がキャスティングされない意味をかみしめました。
A:さっき言っていた「まだ武者の世」ではないからですね。実際にここで道長が懸念していたことはやがて現実になり、ついには朝廷のある都までが戦場になります。道長と一条天皇のやり取りから150年後に、「後白河天皇と藤原忠通」と「崇徳上皇と藤原頼長」が対立し、双方で源氏や平氏の武力を動かして保元の乱という合戦に発展します。
I:保元の乱で都が戦火に見舞われたことで、道長の子孫のひとり(孫の孫の孫=昆孫)で天台座主だった慈円がその著書『愚管抄』に「ムサ(武者)の世になりにけるなり」という表現で、世の中の潮流変化を後世に伝えるわけです。
A:道長の孫の孫の孫の代というのも感慨深いですね。私たちの6世代後の子孫はどんな時代を生きることになるのか――。遠い未来に思いを馳せたくなりますね。
I:先ほど名前だけ登場したと説明した平氏や源氏の子孫=源義朝や平清盛が保元の乱では活躍するわけですね。ということで、『光る君へ』で武士がキャスティングされない理由を解説してみました。
【藤原一族の氏寺興福寺の別当がやってくる。次ページに続きます】