取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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父は娘が「いなくなってしまえばいい」と思っている
「去年、妻(67歳)のがんが再発してから、地方の療養施設に長期滞在させることにしたんです。家に娘(40歳)と2人きりになってから、娘の行動が気にさわり、憎しみさえ覚えるようになったんです」
幸三さん(仮名・69歳)は疲れ切った顔で言う。健康的にゴルフ焼けした肌、引き締まった体をしている。最近、ギターを始めたのだという。
「家にいると腹が立ってしょうがないから、知り合いの飲み屋に23時くらいまでいさせてもらっています。娘の態度を見ていると“いなくなってほしい”と思う。本来なら、1人暮らしをしてもいいのだけれど、住み慣れたわが家を娘に譲るのは嫌だ。それに娘を家に一人にさせると、何をされるかわからない。娘も私に出て行ってほしいと思っているだろう。こうなったらもう我慢比べです」
父親が娘に対して、そこまでの怒りを抱くのは珍しい。いつからそう思うようになったのだろうか。
「妻が施設に入ってからです。それまで、私と娘はほとんど直接話したことはなく、妻が間に入ってくれていたんです」
幸三さんは、IT関連のコンサルタント会社を経営している。押しが強く我が道を行くタイプだ。都内の名門私立大学を卒業し、海外留学を経て、人材派遣会社に就職。当時、人材派遣ビジネスは黎明期で、社会的価値も低く、ニーズも顕在化していなかった。幸三さんは「将来、この業界は伸びる」と確信し、両親の反対を押し切って、この世界に入った。
「飛び込み営業では、目の前で名刺を破られたこともありました。プライドがこなごなになりながらも続けていたら、あれよあれよと会社は大きくなり、バブル期には同じ年のサラリーマンの8倍の年収を得ていた。その金を基に独立し、今に至ります」
都内の一等地に庭つきの大きな一戸建てがあり、現在も会社は成長し続けているという。幸三さんの長男(43歳)は、シリコンバレーの大手IT企業に勤務しており、米国人の女性と結婚し、子供が2人いる。
「跡取りのつもりだったのに、思うようにいかないものです。妻に言ったら“子供の好きにさせてやりなさい”と。以前は、お互いに遊びに行き合っていたのですが、妻の状態が悪くなり、アメリカに行くこともなくなりました」
娘(40歳)について聞くと、「今まで一度も働いたことがないくせに、偉そうなんだ」と怒りをにじませた。
【娘は有名女子大を卒業後、18年間働いた経験がない……。次ページへ続きます】