ライターI(以下I):大河ドラマ『光る君へ』では、藤原道長(演・柄本佑)が権力の頂点に向かっていく過程が描かれています。
編集者A(以下A):当時の権力の源泉=政権スキームをざっくりと説明すると「自分の娘を天皇に入内させ、その娘が生んだ皇子が即位することで、外祖父として実権を握る」ということになります。
I:よくよく考えると、不可思議というか不条理というか悠長というか、『光る君へ』でこの時代に関心を持った人はどのように感じているでしょうか。ドラマとしてこの時代の権力構造を目の当たりにすると、なぜこんなことがまかり通っていたのか不思議でしょうがありません。
A:唐が滅亡した後の中国は、五代十国時代を経て宋が統一するのですが、この頃はかつての唐ほど強い国ではない=脅威ではなかったということで、日本が「平和ボケ」していたのは否めません……。
I:唐が強大だった時期は、白村江の戦いがあり、斉明天皇が九州まで出陣したり、九州から瀬戸内海にかけて朝鮮式山城を多数築いて、唐の脅威と対峙する「緊張の日々」が続きました。その時代とは大違いですね。
A:本当にそうですね。さて、平和を享受していた当時の権力スキームですが、道長の曾祖父・関白藤原忠平からの系譜を説明するとわかりやすいと思います。忠平の長男実頼(さねより)は左大臣。二男師輔(もろすけ/道長の祖父)は右大臣、五男師尹(もろただ)は大納言として村上天皇を補佐する立場にありました。面白いのは、実頼、師輔、師尹兄弟がともに娘を村上天皇に入内させていたことです。
I:村上天皇も大変だったと思います。実頼の娘述子は皇子をもうけることができませんでした。一方で二男の師輔の娘安子はふたりの皇子の生母となります(後の冷泉天皇、円融天皇)。師尹の娘芳子もふたりの皇子を生みますがいずれも病弱で後継レースからは除外されたようです。たったそれだけのことで、実頼とその子弟は嫡流でありながら、弟師輔並びに師輔子弟の後塵を拝することになるわけですね。
A:はい。実頼の息子頼忠は『光る君へ』では橋爪功さんが演じていました。頼忠は娘の遵子(演・中村静香)を円融天皇(演・坂東巳之助)に入内させていましたが、皇子を生むことができず、「素腹の后」と陰口を叩かれてしまいます。このとき円融天皇の皇子を生んだのが藤原兼家(演・段田安則)の娘詮子(演・吉田羊)ですね。兼家のすごいところは、もうひとりの娘超子を冷泉天皇に入内させて居貞親王(演・木村達成)をもうけていたことです。
I:指導力とか実力とか長幼の順とか完全に無視されて、帝の外戚になれるか否かが権力を握る絶対条件だったわけですね。
A:このスキームのすごいところは、権力を維持しようとすると、代々近親婚が続くことです。それは兼家から道長への権力移譲過程でより顕著になります。いとこ婚や「おば甥婚」が連続することになっていきます。
I:摂関政治から院政への政治スキームの変化は必然だったともいえるのですね。
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