「直木賞を受賞し、この時計を手にしたときは喜びよりも戸惑う気持ちが強かったですね」
日本の文学界において、もっとも栄誉ある賞のひとつとして広く知られるのが芥川賞と直木賞である。受賞者には正賞として懐中時計、副賞に100万円が贈られる。正賞が時計になったいきさつについて、賞を贈呈する日本文学振興会の広報担当者はこう語る。
「1935年の賞の創設当初に、文藝春秋社専務だった佐佐木茂索氏が“現金だけというのは、なんとなくむき出しみたいで嫌だった”と語ったと伝わっています」
その正賞の時計とはどのようなもので、手にしたとき胸に去来したものは何だったのか。
『あかね空』で第126回(2001年下半期)直木賞を受賞した、山本一力さんに聞いた。
「じつはこの銀時計の前に『蒼龍』でオール讀物新人賞(1997年度)を受賞し金時計を貰っているんです。そのときはもう嬉しいのひと言。この時計を手にしたときが作家としてのスタートでしたね。ただし、それからなかなか次作が認めてもらえず、出版社に乗り込み、編集者に食ってかかることもありました。帰り道、皇居のお濠端を通ると芥川賞・直木賞の授賞式が開催される東京會舘が見えるわけです。次は絶対に、あの建物の中からお濠を眺めてやると思ったものです」(山本さん、以下同)
それから5年後、山本さんは直木賞を受賞し、みごと東京會舘の「中の人」となる。
「會舘からお濠を見下ろしたときは叫びたいくらい嬉しかったですよ。でも、銀時計を手にしたときに感じたのは戸惑いなんです。これからは常に読まれるものを書き続けなければならない。歴々の先人たちと同じように、私がこの時計を持っていてもよいのだろうか、という思いの方が強かったですね。直木賞を受賞してからが、作家として本当の苦労の始まりでした」
銀時計を時計店に持ち込んだ
山本さんに日常の時計にまつわる思い出を聞いた。
「時計自体は正確で文字盤が見やすく、なおかつ手頃な値段であればいいと思っています。一方で町を歩いていて、昔ながらの時計屋があるとつい寄ってしまいます。時計屋が好きなんです。子どもの頃、時計屋の職人が腕時計の分解を見せてくれました。裏蓋を開けるとゼンマイや小さな部品がぎっしり詰まっている。それらをひとつひとつ取り出し、掃除と調整を施し、また元通りにする。このおじさんは魔法使いではないかと思いました。そして、拡大鏡を片目にはめたままギロリとこちらを睨む。それがたいそう怖かった(笑)」
直木賞の銀時計を時計店に持ち込んだことがあるという。
「電池交換をしてもらいに銀座の和光に持って行くと、“本人が来た!”と、受付の人が驚いてしまって(笑)。なんだか大仰になり申し訳ないのでそれきりです」
今、山本さんの銀時計は故郷の高知県立文学館に収蔵されている。
「手元に置くより、皆さんに見てもらうのが一番だと思っています」
取材・文/宇野正樹 撮影/藤田修平 取材協力/高知県立文学館
※この記事は『サライ』本誌2024年6月号より転載しました。