右大臣となった道長(演・柄本佑)。(C)NHK

ライターI(以下I):『光る君へ』から目が離せない展開になってきました。関白藤原兼家(演・段田安則)と正室時姫(演・三石琴乃)の三男である藤原道長(演・柄本佑)が権大納言からいきなり右大臣に昇進し、貴族社会のトップになりました。

編集者A(以下A):父の兼家が亡くなった後、長兄の道隆(演・井浦新)が関白の座に就きました。道隆は貴族社会の反発を無視して、息子の伊周(演・三浦翔平)を急速に昇進させますが、40代半ばで病に斃れます。当時の貴族社会の反発を買った伊周の急速な昇進ですが、現代でいったら時の総理大臣が大学を卒業したばかりの息子を閣僚にしたくらいのインパクトでしょうか。

I:その伊周は、すぐに関白になる気が満々だったのかもしれませんが、関白の座を継承したのが次兄道兼(演・玉置玲央)。ところが道兼は『光る君へ』劇中でも描かれたように関白就任後にあっという間に疫病によって亡くなってしまいます。この時の疫病は公卿の大半の命を奪う大惨事となりました。

A:その結果、わずか30歳の道長にたなぼた的に政権がめぐってきます。道長の父兼家も藤原師輔の三男で、兄伊尹(これまさ)、次兄兼通が亡くなった後に関白に就任しますが、58歳でしたから、道長がいかに若かったかがわかります。

I:兄たちの相次ぐ死、疫病による公卿らの死を経て、道長は政権を掌握したわけですね。

A:この道長の政権奪取までの流れを考えた時に、700年ほど経った江戸幕府将軍交代劇を思い出してしまいます。

I:! 八代将軍徳川吉宗のことですね。

A:はい。吉宗(初名は頼方)は御三家のひとつ紀州藩第二代藩主徳川光貞の三男でした。1995年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』では大滝秀治さんが光貞を演じていました。光貞の「光」は将軍家光の偏諱(へんき)です。光貞嫡男で吉宗の兄・綱教は、辰巳琢郎さんが演じました。綱教は綱吉のひとり娘 鶴姫を正室に迎え、男子のない将軍綱吉の後継候補にも挙げられた人物です。

I:確か、鶴姫は斉藤由貴さんが演じていたのですよね。

A:そうです。ですから何事もなければ、綱教が将軍職を継承する可能性があり、その場合は紀州藩は次兄の頼職(よりもと)が紀州藩を継ぐわけですから、吉宗が紀州藩主になる目はなかったわけです。ところが、まず鶴姫が疱瘡(天然痘)で亡くなります。その翌年には綱教が亡くなってしまいます(享年41)。跡を継いだのが、頼職。大河ドラマでは野口五郎さんが熱演していました。ここから紀州藩は相次ぐ悲劇の連鎖に見舞われます。綱教が亡くなったのは宝永2年5月18日なのですが、この3か月弱後の8月8日に綱教の父光貞も亡くなります(享年79)。綱教没後に紀州藩主になっていた頼職は父光貞病気の報を江戸で受け、早馬で和歌山に向かったそうです。なんとか光貞が亡くなる前に和歌山に到着して最後の対面は果たせたそうですが、無理がたたって病を発し、26歳の若さで亡くなってしまいます。

I:嫡男が亡くなった後に跡を継いだ次男が急逝するというシチュエーションは、道隆亡き後に関白を継いだものの「七日関白」で終わった道兼のようですね。

A:ということで、吉宗が紀州藩主を継ぐわけですが、徳川将軍家で7代将軍家継が亡くなって本家が絶えてしまうという大事件が発生します。このとき吉宗と八代将軍の座を競ったのが尾張徳川家の徳川継友。大奥の支持もあったのでしょうが、決めては「吉宗は家康のひ孫」「継友は家康の玄孫」という血統の遠近だったのかと思われます。

I:紀州藩主の三男から紀州藩主、さらに幕府将軍とはまさにホップステップジャンプですね。歴史を動かしたたなぼた昇進はまだあるのですよね。

藩主の14男から幕府大老にのぼりつめた井伊直弼。次ページに続きます

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