文/池上信次
ラジオの「ジャズ」ディスクジョッキー(以下DJ)とそのトリビュート曲の紹介を続けます。
前回(https://serai.jp/hobby/1179527)紹介のシンフォニー・シッドは、広い範囲に及ぶ活躍と「村上春樹効果」もあってか、日本の多くのジャズ・ファンがその名前を知るところですが、それに続く名前となると、ぐっと知名度は下がってしまいます。ラジオDJの活動の記録が「残らない」こともその一因かと思われますので、ジャズ・ミュージシャンが彼らの名前を曲名に残したことには大きな意味があったといえるでしょう。
今回まず紹介するのが、ダディ・オー・デイリー(Daddy-O Daylie/1920〜2003)。ダディ・オーは1940年代後半からシカゴで活動を始め、スウィング、ビバップを紹介するジャズ・ラジオDJの先駆者のひとりと伝えられています。また、公民権運動に積極的に参加したり、ラムゼイ・ルイスのアルバムをプロデュースするなど、その活動は広範囲に及びました。日本ではその声を聞くことも活動を知ることも難しいことでしたが、でも、日本のジャズ・ファンの多くは彼の名前は知っているはず。はい、みんな聴いているあのアルバムのあの曲はダディ・オーに捧げられた曲なのです。
それはキャノンボール・アダレイの『サムシン・エルス』(Blue Note)に収録されている「ワン・フォー・ダディ・オー」。キャノンボールの弟ナットの作曲です。このアルバムは、マイルス・デイヴィスのトランペットをフィーチャーした名演「枯葉」でたいへん広く知られますが、その(LP)B面2曲目にあります。「枯葉」の陰に隠れて、この演奏はまったく目立っていませんが、曲名にあるダディ・オーの名前はこれでしっかりと世界中の全ジャズ・ファン(というのは大げさですが)の記憶に刻まれたのでした。
ダディ・オーへのトリビュート曲は、これ以前にも1953年にJ.J.ジョンソンが「デイリー・ダブル(Daylie Double)」という曲を書いています(『ジ・エミネント・J.J. ジョンソン Vol.2』[Blue Note]に収録)。ちなみにクインシー・ジョーンズ作曲の同名異曲がありますが、ダディ・オーのことなのかは不明。ダディ・オーは80年代後半まで活動を続け、2003年に亡くなりました。
次は、チャック・ナイルズ(Chuck Niles/1927〜2004)。ナイルズはアメリカ東部マサチューセッツ州スプリングフィールド生まれ。1957年から西海岸のロサンゼルスを拠点に、40年以上にわたってジャズ・ラジオのDJとして活動。またテレビ司会者や、俳優として映画に出演するなど幅広く活躍しました。ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに、ジャズ・ラジオDJとして唯一その名が刻まれていることからも、その人気と大きな功績がうかがい知れます(1998年設置)。
*チャック・ナイルズへのトリビュート曲
1)「ザ・ヒッペスト・キャット・イン・ハリウッド」
ホレス・シルヴァー作曲。「キャット」はジャズ・マニアやジャズマンを指す言葉。シルヴァーの1996年録音『ザ・ハードバップ・グランドポップ』(Impluse)に収録されています。
2)「ビバップ・チャーリー」
ボブ・フローレンス作曲。フローレンスのビッグバンドによる1979年録音『ライヴ・アット・コンサーツ・バイ・ザ・シー』(Trend)に収録。「ビバップ・チャーリー」はナイルズのニックネームです。
3)「ナイルストーンズ」
これもボブ・フローレンスの作曲。フィル・ノーマン・テンテットによる1998年録音『イエスタデイズ・ガーデニアス』(Sea Breeze)に収録。フローレンスはアレンジとピアノで参加しています。
4)「ナイルス・ブルース」
ルイ・ベルソン作曲。ベルソンのビッグバンドによる1977年録音『サンシャイン・ロック』(Pablo)に収録されています。
この顔ぶれを見ると、ナイルズの拠点が西海岸だったことがよくわかります。ラジオは地域密着メディアであり、DJは顔役なのです。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。