文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1177796)の、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』の話題を続けます。笠置シズ子の「東京ブギウギ」や「買い物ブギー」がヒットしていた頃(1948〜50年)、アメリカではビバップが流行していたというのが前回のテーマでした。その後の『ブギウギ』のストーリーは、そのヒットを受けて笠置シズ子が服部良一とともにアメリカへ4か月の演奏旅行をするという展開になりました(本稿執筆時点)。ドラマではツアー中の笠置と幼い娘との関係が中心に描かれ、音楽シーンはありませんでしたが、そこでたいへん興味深いセリフを耳にしました。ツアー中のニューヨークのホテルで、服部が笠置に話しかける場面です。

「ブギの王様ライオネル・ハンプトンにも会えたし、ジャズ・クラブで見たジャズの新しいスタイル、ビバップもすごかった」

ちょっと不正確かもしれませんが、ハンプトンは実名ですし、なにより一般向けテレビドラマで「ビバップ」という「専門用語」が流れたことに驚きました。制作者のジャズへのこだわりが感じられますね。では実際はどうだったのでしょうか。史実でみれば、笠置シズ子は1950年(昭和25年)6月に服部良一とともにハワイ経由でアメリカ本土に渡り、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハリウッド、シカゴ、ニューヨークで演奏活動を行なっています。その様子はさまざまな評伝等で紹介されていますが、「本人による」当時の記録を見つけたのでそこから紹介します。

雑誌『新映画』1951年1月号(映画出版社)に、「ブギの女王が語るハリウッド土産ばなし 海を渡ったブギ道中」が4ページにわたって掲載されています。これは聞き書き記事(無署名)なのですが、本人の言葉としてツアーの様子が紹介されています。ジャズに関係する部分をいくつか抜粋します。

感動したのはハリウッドのM・B・C放送局で計らずもビング・クロスビー、ボッブ・ホープ、ダイナ・ショーアの三大スタアが揃つたラジオ・ショウを見学出来たことです。(中略)私たちが来ているのを知るとビング・クロスビーさんはわざわざ逢いに来て下さいました。『日本のブギは聞いたことがある。うちの子供もよく歌つている』といわれた時は無性にうれしくなりました。

米国一の黒人ドラム奏者ライオネル・ハムプトンさんにお逢いした時も大変な感激で、是非自分のバンドで歌つてくれと言われましたが、飛(ママ)んでもない、もつと勉強してからとお断りするのに骨を折つたくらいです。

サンフランシスコで、『テッド・ルイズ・ショウ』を見に行つた時は客席にいたピアニストであるアート・テータムと一緒にスポットを浴びせられ『クィーン・ブギウギ』と紹介され舞台へ引ツぱり上げられました。恥かしくて顔が眞赤になりましたが、勇気をふるツて服部先生のピアノで『東京ブギ』を歌いました。

ニューヨークでは無我夢中で劇場とナイト・クラブを歩いて一流の楽団とショウを見学しました。(中略)ショウで問題作になっていたのはもう五年も続演している『キッス・ミー・ケイト』(シューベルト劇場)と去年の春からマヂエスチック劇場でロング・ランしている『サウス・パシフィック』(後略)

その他、映画でもお馴染みのハリー・ジェームスやアーティ・ショウやスタンケントンの楽団、ラジオ・スタアとして有名なデニス・ディのプレイを見学したり、親しくお逢いして(後略)

このようなさまざまなエピソードが、ライオネル・ハンプトンや、ハリー・ジェイムスと並ぶ写真とともに紹介されているのですが、なかでもいちばん(ジャズ・ファンとして)驚いたのはこの一節です。

(前略)ナイト・クラブではビリー・ホリディという黒人の女歌手の歌が素適(ママ)で、これを聴いてはもう歌うのがいやになつた、と同行の服部富子さんと言い合つたほどです。不断(ママ)は阿片中毒のようにうすぼんやりしているのですが、ひとたび歌い出すと別人のような生気があふれました。


ビリー・ホリデイ『ラヴァー・マン』(DEcca)
演奏:ビリー・ホリデイ(ヴォーカル)ほか
録音:1944年~50年
このアルバムに収録されている「クレイジー・ヒー・コールズ・ミー」と「ユーア・マイ・スリル」が1949年10月、「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」は50年3月の録音。笠置シズ子はライヴでこれらの曲を聴いていたのか? 笠置は1914年8月、ホリデイは1915年4月生まれの、ほぼ同じ歳。

笠置シズ子がビリー・ホリデイのライヴを観ていた! おそらく服部良一も一緒でしょう。「ジャズ」な人たちなんですね。さて、「ビバップ」についてはどうだったのか? 記述がありました。

アメリカはやつぱりブギが全盛です。ビーバップは大したことはありません。(中略)アメリカで最も尖端的なのは黒人でしょう。というのは白人におくれまいとして、団結して絶えず時代のトップを行く思想、文化、流行に身を挺しているのです。

これは1950年のこと。日本の「ブギの女王」の視野は世界に広がっていたのでした。

※本文中、現在では差別的で不適切と思われる語彙・表記がありますが、記事が書かれた時代背景、また、著者が故人であることを考慮し、原文のままといたしました。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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