伊周の愛人から「長徳の変」のきっかけに
『栄花物語』にもあるように、その頃、伊周は三の君のもとへ通っていました。花山法皇は、同じ屋敷に住む儼子のもとへ。しかし、伊周は法皇も三の君を思っていると勘違いし、弟・隆家(たかいえ)に相談。隆家は従者を引き連れて法皇の一行を待ち伏せして襲撃し、弓矢で法皇の衣の袖を射るという事件を起こします。
これを聞きつけた道長は、伊周を大宰府へ、隆家を出雲国へ左遷しました(隆家は病気を理由に但馬国にとどまりました)。この一連の出来事が「長徳の変」です。
「長徳の変」により、伊周・隆家という兼家の嫡男筋から叔父の道長へ、権力の座が完全に移りました。
まとめ
容姿も心も美しかったと伝わる藤原光子(三の君)。それゆえに「長徳の変」のきっかけとなり、朝廷の勢力図が塗り替えられることとなりました。彼女は凋落する伊周、台頭する道長を間近に見て、どのように感じていたのでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/深井元惠(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考文献/
『日本人名大辞典』(講談社)