はじめに-藤原義懐とはどのような人物だったのか

藤原義懐(ふじわらのよしちか)は、花山(かざん)天皇の外叔父です。その治世に権力を持ち、天皇が出家し譲位すると同時に政界から引退。天皇に振り回された感のある義懐は、実際にはどのような人物だったのか、史実をもとに紐解きます。

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原兼家(かねいえ)の策略で花山天皇が出家し、一夜にして権力を失う人物(演:高橋光臣)として描かれます。

藤原義懐

目次
はじめに―藤原義懐とはどのような人物だったのか
藤原義懐が生きた時代
藤原義懐の足跡と主な出来事
まとめ

藤原義懐が生きた時代

藤原義懐が生きた時代は、藤原氏の意のままに、冷泉(れいぜい)天皇、円融(えんゆう)天皇、花山天皇、一条天皇の譲位や即位が繰り返されました。また、藤原氏同士の権力闘争も激しく、義懐も浮き沈みの激しい人生を送ります。

藤原義懐の足跡と主な出来事

藤原義懐は天徳元年(957)に生まれ、寛弘5年(1008)に没しています。その生涯を、主な出来事とともに紐解いていきましょう。

由緒正しい摂関家に生まれる

藤原義懐は、摂政・太政大臣を務めた藤原伊尹(これただ/これまさ)の五男として誕生します。母は、第60代天皇・醍醐天皇の孫である恵子(けいし)女王。このような名門出身ながら、義懐の昇進は遅れました。理由は、栄達を誇った父・伊尹が病気のため48歳で没し、続けて兄たちも没すると、伊尹の弟・兼通(かねみち)に権力が移ったこと。兼通の息子たちが、公卿へ昇進していくのを横目に見る日々でした。

このように義懐は目立たない存在でしたが、幸いなことに姉・懐子(かいし/ちかこ)は、冷泉天皇の女御として、唯一の皇子・師貞(もろさだ)親王(のちの花山天皇)をもうけていました。義懐は数少ない外戚として、天元2年(979)、皇太子の御所の内政を管理する春宮亮(とうぐうのすけ)に任ぜられます。

花山天皇側近として政治改革に着手

永観2年(984)、円融天皇の譲位により花山天皇が即位すると、義懐は蔵人頭(くろうどのとう)に任ぜられ、翌寛和元年(985)には、従二位・権中納言まで一気に昇格。次の大臣や摂政・関白と目されるまでになりました。出世が遅れたとはいえ、このとき義懐はまだ28歳。もう一人の側近である花山天皇の乳地兄弟・藤原惟成(これしげ/これなり)31歳とともに、16歳の天皇を支えることになります。そして新しい政治を積極的に行ないました。

たとえば、違法な手続きによって開かれた荘園を整理・停止する「荘園整理令」の発布、欠けたりひび割れた銭を嫌うことを禁止する「破銭(われぜに)の法」、地方の行政改革などを次々と敢行します。

ところが、これを面白くないのが、政界の重鎮たる関白・藤原頼忠(よりただ)や、懐仁(やすひと)親王(円融天皇の皇子、のちの一条天皇)の外祖父である右大臣・藤原兼家。兼家は、兄・兼通が亡くなったあと政権の実験を握りつつありました。改革派と保守派は対立の構造を深め、義懐らも改革の手を緩めざるを得なかったようです。

花山天皇が行方不明に!? 「寛和の変」。次ページに続きます

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