姉・忯子の死で事態が動き出す
この三の君の一家は、花山天皇によって翻弄されることとなります。
事の始まりは、天皇が忯子を見初めたこと。忯子は天皇たっての望みで入内して女御となり、天皇の住まう清涼殿に最も近い弘徽殿(こきでん)を与えられるなど寵愛されます。しかし、身ごもったまま、寛和元年(985)、数え17歳で急死。世をはかなんだ天皇は、藤原兼家・道兼(みちかね)父子にそそのかされて突然出家し、一条天皇が即位しました(寛和の変、かんなのへん)。
仏門に入った花山法皇ですが、なんと、次に忯子の妹・儼子を見初め、彼女の住む為光の屋敷へ足しげく通っていました。そして長徳2(996)年、三の君を巻き込む「長徳(ちょうとく)の変」が起こります。
【伊周の愛人から「長徳の変」のきっかけに。次ページに続きます】